南部坂雪の別れ。

忠臣蔵が初めて演じられたのが、1748年とされるからもう300年近く愛されてきたことになる。忠義を核にしたドラマは、これからのわが国でも愛され続けるのだろうかと余計なことを考えてしまうほど、昨今の日本人の心は様変わりしているように感じている。いやいや、そんな愚痴ではなかった。

 

久しく行われていない読者の集い・秘密基地の舞台となっている、麻布のオッサレーなレストラン「セレニータ」にほど近いところに、南部坂がある。通ればいつだって思いだすのが今日のタイトル「南部坂雪の別れ」だ。オーナーシェフの協力で連載が次号より始まるから、行く頻度が増え、なんだか最近はしょっちゅう思い出していることになる。

 

『忠臣蔵』にあまり明るくない方々に、超スピードでご説明させていただこう。主君の仇を討つために大石内蔵助をリーダーとして立ち上がった赤穂藩の四十七士は、討ち入り日に1702年の12月14日をターゲットと決めた。その前日の雪が降りしきる中を、主君の奥様に大石は「やっちゃうよーん」と四十七士の血判状を持参して挨拶に出かけた。でもこの奥様が不用心すぎるもんだから「こりゃあ言わない方がいいな」と、とっさに「田舎に帰ることにしたからその挨拶だよーん」と嘘をつく。討ち入って見事、旦那の仇の首を取ってくれるとばかり思っていた奥様は激怒して、大石に「出て行けー、そなたの顔なんざ見たくねえ〜」と怒鳴り散らし、大石は南部坂にあった奥様宅を後にするという涙ナミダの展開なのだ。この舞台となった場所だから「セレニータ」に行くたびに「うーん、やっぱり『忠臣蔵』はよくできているなあ」とうなずくおっさんである。

 

初めて見たのは中学生の時で、親父からテレビで映画の放送があるから観るようにと促されたのがきっかけだった。作戦どおり僕は見事にハマり、中坊ながら泉岳寺に手を合わせに行くほどだった。つい先日も近くを通りかかり、久しぶりに線香をあげてきた。40年以上、僕は四十七士話を愛してきたことになる。

 

高校時代には、緒形 拳さんが大石を見事に演じた大河ドラマ『峠の群像』に毎週きちんと付き合った。それまでは映画で観た物語だから、2時間にギュウギュウと押し込んであるのが、1年通じて観られたのはよかった。12月になるとジョンとともに、大石ら四十七士に想いを馳せるおっさんだ。

 

冒頭で愚痴ってしまったが、僕自身は息子に『忠臣蔵』を押し込んでいない。僕は親父から強く入れてもらったおかげで、冬の楽しみを一つ手に入れているのである。日本人の心の様変わり以前の問題で、ダメだなあ俺ったら。雪の別れとともに、「セレニータ」に向かうたびにいつもそんな後悔をしている。
 

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1件のコメント

  1. 南部藩の下屋敷があった場所が、現在の有栖川宮記念公園です。

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