伊藤政則さんに感謝 〜大編集後記。

 

つぶやくつぶやく最新号〜ときたもんだ。今日もバッチリPRさせていただく。序章プラス3つの章立てで構成した今回の特集 “俺たちを興奮させたでっかい夢 昭和イベント大全!!” は、俺たち世代のほとんどが体験できなかったビッグイベントの体験者を探し出して、そのすばらしさを証言していただくという毎度のことながら目のつけどころがシャープな特集だ。で、今日ご紹介したいイベントは第2章の音楽編に収録した「スーパーロック ’84 イン ジャパン」で、目撃者は伊藤政則さんだ。

 

音楽ファン、特にハードロック系を聴き込んだ方々でこの名を知らぬ者はもぐりだ。DJをしながら音楽雑誌への寄稿やライナーノーツの執筆を始め、やがて渡英したタイミングがNWOBHM (ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタルの略〜長いぜ) が台頭してきた時期で、体現した氏は国内の音楽業界に戻り第一人者としてその名を轟かせた。ヘヴィメタル専門誌として1984年に創刊した『BURRN!』では編集顧問として関わったり、国内においてハードロック系の様々な仕事に携わった方だ。ひとまわり上の1953年生まれの先輩ながら『昭和40年男』の存在を知っていてくださったそうで、紹介者を介してコンタクトを取り今回のインタビューとなった。さすがの証言と伝説のイベントを再現した4ページを、ぜひ楽しんでいただきたい。

 

この伝説のイベントが開催されるほど国内では盛り上がりを見せていた1984年で、直後の秋が『BURRN!』の創刊だった。おそらく沸点だったのだろうな。だろうなとしたのは、この頃の僕はかつて大好きだったハードロック/ヘヴィメタルに背を向けて、黒っぽい音楽にどっぷりと身を任せていた。それでも、伊藤氏が関わった『BURRN!』の創刊当時に「ああ懐かしいなハードロック」と眺めた日を記憶している。

 

僕にとっては、中2の頃より本格的にハードロックにはまり、パープルやツェッペリンを好んで聴いた。やがて押し寄せてきたNWOBHMにももちろん夢中になった。この頃の音楽カテゴライズは全般おもしろくて、ヘヴィメタル vs. ハードロックではやれあれはこっちだあっちだと議論を楽しんだりした。AORなんかでも同じような言い合いをしたっけ。そんなカテゴライズを整理整頓していたのが、伊藤氏の世代の洋楽インテリジェントの方々ということになる。その恩恵を受けただけでなく、現在に至りこうして記事に登場していただきすばらしい4ページを作れたことに至福を感じていたりする。ハードロック/ヘヴィメタルを一度でも好んだ方は、この記事を読まなくてはなりませぬぞ(笑)。

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1件のコメント

  1. ご無沙汰してます。
    これも参加しました。
    マイケルにデビカバ、コージー、スコピー、ボンジョビが来ると知ったら行かない手はない。
    今月の40年男のイベントは東京オリンピック以外は行ってましたね。
    なので、大人達の格好のターゲットだったんですね。

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