小松政夫さん、ありがとう。

また1人、昭和を彩った偉大な男が旅立ってしまった。俺たち世代なら知らぬ者はおるまいし、みんなが大好きだった。僕にとってはなんてったって『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!』の小松さんだ。ベンジャミン伊東との絡みが凄すぎた「電線音頭」が最高に好きなコーナーだった。当時の僕は今で言うところのお笑い芸人になりたくて『8時だョ! 全員集合』と『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!』は真剣に学んでいた2大巨頭番組だった。お楽しみ会では当然ながら電線音頭は披露した僕で、この時はベンジャミンを演じた。そうそう、しらけ鳥だって歌ったよ。

 

まだまだ今ほど知名度のない時代の『昭和40年男』に、インタビューで登場くださったのは2011年の7月11日発売号だった。震災の年で、計画停電など今となっては思い出したくないほど苦しんだ夏に、特集はそんな時節だからと「今こそ笑え!」とタイトルして打ち込んだ。俺たちにとっての笑いの原風景を引っかき集めたそのセクションの1つであり、企画全体の冒頭を飾ったのが小松さんだった。

 

『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!』の現場の話はもちろん、植木 等さんの運転手時代や夢を諦めかけた時の話など多岐に渡った。リズム&ブルースをもじって「私の笑いはリズム&ギャグなんです」と表現するのは、のちに番組を通じてクレイジーキャッツから鍛えられたからだそうだ。独特のリズム感は『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!』の軽妙さを生んだ。そして俺たちはドリフとはまた異なる笑いの世界に熱狂したのだった。

 

去年の5月に発行した、ウルトラの母を表紙にした問題作「俺たちのお母さん」特集では、100位までのランキングを編集部独自に作り、見事4位の栄冠をつかんだ伊東四朗さん (おかあたま) が登場してくださった。こまっちゃんとのことを多く語っていて、今この2冊をあらためて読んで悲しみを噛み締めているところだ。こまっちゃんのおかげで、僕はどんだけ腹を抱えたことだろう。感謝でいっぱいである。小松政夫さん、ありがとうございました。ゆっくりと休んでください。

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