築地閉鎖から見えてきた景色。

寿司店などの和食の店に築地を語るチェーン店は多い。浜松町の駅ナカの寿司店もこんな店名で、今後どうなっていくのだろうか。しばらくは築地を名乗るだろうが、いずれ豊洲はブランドになり得るのだろうか。

 

僕が初めて築地の場内に足を踏み入れたのは20歳頃だっただろうか。バイトしていた居酒屋の板場の長から誘っていただき、何事も勉強だと早朝の仕入れに同行させてもらった。キビキビと働く厳しいプロたちの姿と、その中で存在感を示す我らが長にえらく感動した。その築地市場が今どんどん取り壊されていると思うとつらいったらない。馴染みにしている飲食店の親父たちにとっては、困惑の日々が続いている。仲買の多くが商売を辞めてしまい、思うような仕入れができないと嘆く。僕が好むのは年老いた職人が腕をふるう店が多く、嘆いているのは60代後半から70代だ。チェーン店の屋号もさることながら、そんな親父たちは店を続けられるかに悩んでいる。

 

ほぼ銀座と言っていい場所にあれほどの敷地の市場が存在していたことが、よくよく考えると奇跡だ。その奇跡によって東京の飲食店は小さいながらも続けているところが多く存在した。仕入れの努力がそのまま店の個性になり、コスパの高いチェーン店に対抗してきたのだ。高齢の親父さんが奮闘を続けてきたところに、今回の移転が重くのしかかっていて気の毒ったらありゃしない。移転後にまだ行けてない店にお見舞いの電話を入れていたりする今日だ。

 

戦後復興を経て高度成長期の東京で、人々に豊かさを提供してきた飲食店が消え去ろうとしている。時代の流れであり、大きな転換期である。もっともこれは飲食店に限ったことでないが、個人店の好きな僕にはパラダイスがどんどん減っていくことを覚悟するしかない。将来は行く店がなくなっておとなしいおっさんになるのだろうか? そんなのいやだなあ。

 

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