正しい居酒屋とは? 〜揚出豆腐とカレイの唐揚げ〜

不定期にお送りしている、僕の居酒屋道である。今はなき、上野のガード下たぬきで
出会ったレバ刺しと、焼き鳥の数々に僕は強烈に惚れ込んだ。カウンター中心の店ゆえ
少人数に限られるが、呑みに行こうという言葉は、すなわちたぬきに行こうというくらい
だった。こうして16歳にして大人の階段を大きく登った僕は、高3になると居酒屋でバイト
を始めた。この経験は後に僕の骨格となっていく。やはり上野で、今はなき「あいうえお」
である。居酒屋ブームに乗ってつくられた飛騨高山風の店内で、安く呑める大箱だ。時給
750円の募集広告には、18歳未満不可と書かれていたが眼中になし。履歴書には2歳
ごまかした19歳と入れ、堂々と面接に通り働き始めた。つうことで、ここでバイトしている
方々はみんな年上という環境である(すぐにバレたが)。

お姉さんたちはみな女子大生であり、それはそれは輝いていた。お兄さんたちもほとんど
が大学生で、遊び上手な感じがした。少々脱線するが(って、そもそもこの駄文に本道など
ないが)、ここで出会った人たちは僕の音楽人生に多大なる影響を与えてくれた。なぜか
“ザ・バンド”が絶大なる人気で、ある日テレビで映画『ラスト・ワルツ』をやると大騒ぎして
いて、これを聞いた僕はビデオに録画し、何度も何度も繰り返し観てホントに大きな影響を
受けたものである。

と、居酒屋道ね。この店で働いたことでそれまで知ることのなかった、すてきなメニューと
出会った。忘れもしないバイト初日のことだ。まかないのおかずに出てきたのが、人気
メニューであったカレイの唐揚げである。カレイは煮るものという僕の概念を打ち砕いた、
それはレバ刺しほどのショックでないものの、人生の幅を大きく広げてくれたのだ。ポン酢
も北村家ではあまり縁のないものであったから、そのコンビネーションは未知との遭遇で
あった。さらにこの出会いを彩ってくれたのがカワイイお姉さまである。調理場の隅っこでの
立ち食いであったのが、初めて遭遇する女子大生と一緒に食べたのだ。「カレイの唐揚げ
大好き」との笑顔とセットになった、カレイの唐揚げの思い出だ。そしてもうひとつ、店で
人気があったメニューが揚げ出し豆腐である。これもそれまでの人生で知らないメニュー
で、初めて見たときは豆腐が揚がっている〜と驚愕したものだ。濃い色のだし汁に浸かり、
刻みネギともみじおろし(これも初めて知った)、海苔がのった一品は運びながらいつも食べ
たかったメニューだ。初めて口にしたのは、働き始めて1ヶ月ほどが過ぎたときである。
うんめー!! これはもう僕のためにあるメニューだと錯覚するほど好きになった。いまだに
居酒屋で見つけるとたいがいオーダーする一品である。

上野の居酒屋「あいうえお」は、僕にこの2品をめぐり会わせてくれ、“ザ・バンド”と出会わせ
てくれ、そのラストコンサートムービーである『ラスト・ワルツ』を観たおかげでニール・ヤング
とも出会えたのであった。そして影響を受けたよき先輩方や仲間、後輩たちといった、いまだ
に付き合いのある連中とも出会わせてくれた。ずいぶん前にここで書いた、癌を漢方薬で
克服するといって亡くなってしまったやっちゃんもその1人であり、今ウチの会社で専務として
がんばっている通称カブ(サリーちゃんから命名)もここでの出会いである。今の人生になくて
はならないものとたくさん出会えたのだ。

それもこれも大箱だからである。それだけ多くの人間が必要であるということなのだ。しかし、
今に続く大箱嫌いにしてしまったのもこの店で働いたから。客に対して心が込められない。
どこもそうだとは思わないが、ここで働く自分自身はそうだった。お客さんとのコミュニケーション
など取っていたら店は回らない。それは料理もそうで、お客の声を聞いてうまいものをつくる
のではなく、安くてうまいものをただ機械のようにつくり続けていた。このことは僕が大箱から
遠ざかる要因になった。そしてそれは「あいうえお」のそばにあった小さな居酒屋「五右衛門」
との出会いも大きい。続くよーん。

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