編集後記。〜山本 昌さんインタビュー〜

さりげなく最新号のPRを挟む姑息な僕だ。どうとでも言ってくれ。
心血を注いでつくりあげた作品なのだ。かわいいのだよ。

沖縄のキャンプ地を1人で訪ねてきた。僕ら昭和40年男にとって、野球はスポーツというよりも
共通言語のようなモノではなかったか? その世界に今だ現役のタメ年がいるのは、うれしいし
なんとも誇らしくも感じるほどだ。その昌さんに僕ら編集部は創刊からずっとオファーし続けてきた。
そうしてやっと実現したインタビューなのである。だが大きな不安があった。最近の野球に疎いうえ、
トラキチである僕は昌さんの長い野球人生をほとんど知らない。ネット社会というのは便利なもので、
なんとなくではあるものの歩んできた野球人生はさらえる。だがたとえば、去年のジャイアンツ戦
完封などのすばらしい出来事を、テレビからでもリアルタイムに感じることができていたらずいぶんと
違う。そういった、昌さんをリアルに感じた材料がほとんどないうえでの取材なのである。

もうひとつの不安が写真だ。太陽サンサンの中でキチンと決められるかは、経験の乏しい僕としては
大きな不安材料である。投球写真は球団に借りることにしてあったものの、現場に行く以上はウチなり
のカットがほしいのは当然である。なので前日の夜に現地入りして、練習の始まる前に球場入りした。
練習中はアッチコッチへと駆けめぐり、なんとか表情を切り抜いた。小さな扱いではあるが、6ページに
掲載したキャッチポールの最中は、まさしくシャッターを切りまくり、100枚以上を収めたのだった。足を
痛めていたと聞いていたから、まさか投げるとは思っていないところだったから、興奮気味に追いかけた。
他の報道陣も昌さんの一挙手一投足を追いかけていて、緊張感が走る現場だった。新聞等々の他の
メディアは移動のときなどに小さなコメントを懸命に拾う。うーん、レースの現場でレーサーに声をかける
姿と一緒で、どんな現場もそうそう変わらないものである。ちなみに他のメディアはほとんどが3人以上の
チームで取材していて、たった1人で乗り込んでいるのはウチだけだった。ある意味でいい経験になった。
右も左もわからない状態でのアタックだったからね。

本文で書いたが、昌さん曰く、自分という投手を表現するとしつこいのだそうだ。うん、多くのタメ年
たちがそうである、巳年なんだよね。だがこうまでしつこいのは並大抵のことでないのは、タメ年
だったらよ〜くわかるよね。若いときと違って、体力や気力を維持させるのに大きな努力が必要に
なってきた。なにも投手に限ったことなく、本当の意味で仕事の一線にいることが大変であることは
身に染みて感じていることだろう。長時間の取材を終えての別れ際に、僕ら昭和40年男の代表です
からがんばってください、と声をかけた。するとホントに照れくさそうにしていたのが印象的だった。

野球エリートではない。200勝もした投手からおもしろいと感じたのは、自分は甲子園のスターでない
という表現だった。「自分にはさしたる才能がない」という昌さんだが、ここまで来たのは自らをオタク
と言い切るその突き詰め方なのだろう。誌面の都合でカットしたが、オオクワガタやスーパーカーなど、
趣味にも没頭するそうだ。野球を引退するイメージはまだないと言うが、もしも引退したらラジコンの
日本選手権に本気で取り組みたいとも語っていたほど。その彼がもっともオタク根性を発揮するのが、
野球なのである。だからこの歳になってもフォーム改造に取り組んだり、新球を増やそうとする。大い
に学びたい、そう思わせる男だった。

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