出版社として歩んだ10年。〜買収成立じゃ〜

うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。

さて、版元になるための方法であるが、
手がまったくないわけではないことは以前から知っていた。
コードを買うのである。
これは問屋もすんなりと認める。
たとえば『ジパングツーリング』を買って、そのままうちが出版社になるというのはスムースなカタチだが、
成功している雑誌をみすみす手放すお人好しな版元など、当たり前だがいない。
版元もリスクを負って創刊にこぎつけているのである。
創刊誌がそのまま成功する確率は非常に低い。
莫大な広告をうち、鳴り物入りで創刊された雑誌が、
次から次へと消えていくのを皆さんも見ているでしょう。
そんな中、儲かるシステムが完全に構築された外注丸投げ雑誌は、
版元にとっては非情においしいものであり、それを手放す経営者が存在するはずがない。
資金繰りが苦しくなっている版元から、ゴミみたいに弱まったタイトルを
高値で買うというのがやっとこさ可能性がある程度のことだ。

もうひとつの手は、休刊中の雑誌を買い取るという手段がある。
いったん発行を休止したとしてもコードは残るのである。
だから多くの雑誌は休刊であって廃刊でないのだ。
取得するのに大変な苦労をするものであるが、一度得た権利には意外と寛容だといえる。
だがこのパターンでコードを取得したとすると、大きな苦労を要するのは当然のことだ。
なんてったって事実上廃刊している雑誌のタイトルを買い、
復活させて成功へと導かなければならないということなのだから。

この当時、知り合いの経営するエルビーマガジン社というところが
月刊の雑誌コードで『レディスバイク(Ladys Bikeこれを略してエルビーだから社名がこうなっている)』を持ち、
休刊中という状態が続いていた。
広告部としてしばらく手伝っていた雑誌であり、社長ともすこぶる仲がよかった。
俺が版元への一歩を進めるには、このコードを利用するのがもっとも近道であり、
前述の通りのいばらの道でもあった。
「ねえ、会社ごと売ってくださいよ、安く」
何度も交渉を続けたのだった。
彼も苦労して取得したコードであり、長年の愛着もあったためなかなか踏ん切りが付かなかったようで、
99年春から交渉を続けOKとなったのは秋を迎える頃だった。
周囲からは無謀だとか、その値付けは高すぎるといった声も上がったが、とにかく俺は版元になりたかったのだ。
決定した価格を20回の分割払いにしてもらってなんとか成立したのだった。
広告から始まり、企画、編集へと切り込んでいき、とうとう出版までたどり着いたのだ。
翌年、つまり2000年の春をターゲットに企画会議が始まった。

続くよーん

2件のコメント

  1. こんにちは。
    以前一度資料を送ったものです。
    まだまだ、1965年はがんばっていますよーーーがんばってください。

    私は、今、自分の愛車をハリウッド映画に出演させたくて、色々と動いています。

    近日中には、アメリカの有名な車雑誌にも載るのですが、応援してください。

    ブログ、見てください。

    http://bolgs.yahoo.co.jp/ichiraku911

  2. 以前メッセージいただいたときもそうですが、応援ありがとうございます。ハリウッド映画をぜひ実現させてください。タメ年同士、応援してます。

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