信濃路小旅。

全国各地でイベントを開催する祭り男で、よく参加者から「大変ですね」と声をかけられるが、ま~ったく大変じゃない。むしろありがたいことで、いつもウキウキしながら仕事場に向かっている。そして仕事前後の時間を使って、寅さんのごとく土地土地の兄さん姉さんにご厄介かけている若造…とはもう言えぬ初老である。今回はコロナの運び屋になりたくなかったから、兄さん姉さんとのどんちゃん騒ぎはしなかったものの、ほんの3時間弱だったが空き時間を見つけて小旅が楽しめた。

 

長野で絶対に外せないのが善光寺である。ちょっと脱線するが、以前やはり仕事がらみで静岡県の三島に行った時に、同じような小旅で三嶋大社を楽しんだ。僕は霊的な感性を持ち合わせていないのだが、神社仏閣の空気を感じるように自分を仕向けるのが趣味というか好きである。かなりわがままな自分だけの楽しみなのだが、三島ではこの趣味のおかげでいい夜になった。

 

三嶋大社の境内に足を踏み入れるとものすごく静かな空気を感じられた。ざわわがまったく無い爽やかで清々しい空気だ。これは以前にも味わったことがある感覚だ。そう、信濃の善光寺である。そしてこの夜だ。一人で入った居酒屋は女将さん一人でやっていて、常連客たちの夜は早くすぐに客は僕一人になってしまった。旅人と呑み屋の一期一会は、どの土地でも豊かで楽しい時間だ。「三嶋大社ですごくキレイな空気を感じました」と、酔いにまかせてちょっと謎な話にやばいかなと思った次の瞬間「スピリチュアルな話じゃないけどね、本当にそうなのよ」と、その静寂について二人で盛り上がった。続けて三嶋大社についてのレクチャーをしていただくという贅沢を味わった。そして信濃の善光寺が同じ類の空気だと言うと、女将さんも行った時に同じ感覚だったと激しく同意を得られた。という楽しい夜だった。

 

善光寺を主役にして小旅を始めた。参道は趣のある店が並び、ゆるゆると歩くのが楽しい。やがて到着すると、今回も静かな空気の中に身を置き満喫した。鐘の音も聞けて心の底からのリラックスタイムの後は、ほぼ隣接と言っていい距離の県立美術館でクリエィティブマインドを刺激して、再度善光寺に戻ってまたしばし空気を楽しんだ。参道をさっきと逆の長野駅方面へと向かいながら、そば屋を物色する。こうした時に僕はグルメサイトを絶対に見ない。己の感性のままに面構えで店を選ぶ。こうした修行を随分昔から積んでいるせいか、打率は高いと思う。つい先日も店のツラで気に入って入ったピザハウスが、ものすげー有名店だったなんて満足もあった。多くのそば屋をスルーしてここだと入ったのは大膳というこじんまりした店で、これが大当りだった。10割そばなのにまるでつないでいるかのごとく滑らかで、いやあびっくらこいた。

 

と、ごくごく短い時間ながら大満足の信濃の小旅は、心の底からリフレッシュさせてくれた。一昨年の暮れ以来の訪問になり、僕はだんだんとこの街に惚れ込んでいる。老後に住みたい街のランキングがどうやら変わってしまった。民度の高さも噂どおりで至る所で感じられる。そばがうまい。奥ゆかしい人がまたいい。そしてなんと言っても、善光寺を主役に据えた街並みはおっさんの心の癒しに威力十分である。また近々、訪れる予定があるから、ますます好感度が上がることだろう。コロナが落ち着いたらみなさんもいかがでしょう。おっさんの心に栄養を!!
 

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