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今年一番の悲しみ。川俣隆さんとの別れ。

2014 年 12 月 25 日 プロデューサー コメント

このブログに、ましてやクリスマスに書くべきか悩んだが、『昭和40年男』にとって極めて大切な男だったことと、その記事に皆さんもふれていたということ。加えて今日は今年最後の月命日にあたるから、今一度哀悼を捧げたくこのブログを使わせてもらう。

旅立ったのは7月25日のことだった。その悲しい知らせは、出張での大仕事が終るのをまるで待っていてくれたかのように届いた。28日のことで、ほぼ会社に戻った瞬間だったのである。月が明けて1日には見舞いに行く予定にしていた。本誌ライティングで活躍してくれていて、氏の弟子だと名乗るほどの付き合いだった葉月さんと約束を交わしていたのだ。

見舞いに行く時はまず日程を決めておき、直前になると川俣さんに確認していたのは、特殊な治療を施す場合があるからだった。亡くなる以前の7月10日に葉月さんと見舞う予定にしていて、3日前頃よりメールするが返事がなかった。僕の事務所は病院に30分ほどで行ける。葉月さんには無駄足になってしまうかもしれないから、様子を見てくると1人で出かけた。行って川俣さんと会えて、連絡がつかないことがよくわかった。

 

 

闘病生活は長引いていて、見舞いに行くたびに悪くなっていることは否めなかったが、回復だけを信じていた。だがこの日は、それまででもっとも悪化が進んでいて、話をするのもつらそうな状態になっていたのだ。僕は翌日発売となる『昭和40年男』を枕元に置き、これで元気になってくださいと早々に引き払った。もっと居たかったが、なにしろつらそうだったから長居はできなかったのだ。すぐに葉月さんに連絡を入れた。ずいぶん痩せてしまって、話すのもシンドイようだから会うのはつらいかもしれないと伝えた上で一緒に行くことにしたのが、8月1日では遅かったのだ。10日に一緒に行けばよかったと、2人に申し訳ない気持ちがいまだに残っている。

9月発売号の編集後記で追悼文を掲載した。2006年に音楽雑誌を創刊して以来の付き合いであること。さらに大きくさかのぼって中3の冬に、僕は彼が作った『ギターマガジン』に出会っていたこと。その素晴らしい内容で音楽に深くのめり込むことになり、さらには雑誌そのものを好きにさせたのだから、僕の人生を大きく変えた人だったこと。そして奮闘することこそが供養だと誓い、お礼を述べて締めた。

音楽と雑誌の世界へ深く誘ってくれた恩人だ。そして、実際に仕事をさせてもらうようになってからはたくさんのことを教えてもらった兄貴分だった。笑顔がステキな人だった。まっすぐできれいな心の男だった。何度も呑みに行っては「北村さんと呑むと次の日がツライ」とか「久しぶりに完全につぶれましたよ」とか言いながら、誘えばいつも互いにヘベレケを繰り返していた。「早く元気になって呑みに行きましょうね」と見舞いの度に言い続けてきて「行きましょう」と返してくれていたのに、嘘つきだよ川俣さん。

悲しみはまだ深く刺さったまま、今日5ヵ月が過ぎたことになる。9月の追悼文と同じで、最後は「ありがとうございました」の言葉しか見当たらない。

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    浅野
    2014年 12月 25日 19:03 | #1

    きっと見ててくれるよ。
    頑張れ頑張れ(^^)

  2. ありがとうございます。頑張る。

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    プロデューサー
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    中山幸彦
    2017年 4月 20日 02:47 | #2

    私は貴方の弟子❗何時も貴方を愛していた有能なギターリスト中山 貴方には音楽を教わりました‼貴方の犠牲者かも❗愛しています今でも❗ 

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    中山幸彦
    2017年 4月 20日 06:53 | #3

    獨協大学のflying panのもう一人のギターを担当していました。在学㊥は武蔵大学や学習院大学の学祭に出演して当時のクリエ―ションやカルメンマキとoz等とやりました。亡くなった事は今知りました。ショックで眠れないです。
    もう一度彼と会いたい❗

  5. コメントありがとうございます。大学時代のバンドの話はいつも楽しそうに語ってらっしゃいました。
    僕ももう一度呑みたいです。

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    プロデューサー
  6. 2017年 4月 24日 00:41 | #4

    鈴木ブ―ちゃんとか松尾ワンちゃん連絡を取り、隆先生の墓参りを切望します❗連絡先取れ次第お知らせ下さい。