松尾 “KC” 潔が眺めていた日本のR&Bの夜明け

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■『昭和50年男』vol.011 特集「1997年 邦楽レボリューション」の記事をまるごと掲載!

 
前年にデビューしたSPEEDの人気が加速し、DA PUMP、Folder がデビューするなど、ブラックミュージックを取り入れたアーティストが目立ち始めた1997年。この時期の “日本のR&B” の動きについて、音楽プロデューサー・松尾 潔の証言とともに検証したい。

取材・文:森 朋之  撮影:坂本光三郎

本誌 vol.011 特集記事を再編集、転載してお送りします。

 
■PROFILE: 松尾 潔/まつおきよし

昭和43年、福岡市生まれ。SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後、プロデューサー、ソングライターとして、平井 堅、CHEMISTRY、東方神起、JUJUなどを成功に導き、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース) で第50回日本レコード大賞を受賞。これまで提供した楽曲の累計セールスは3,000万枚を超す。2021年2月、初の書き下ろし長編小説『永遠の仮眠』(新潮社) を上梓した。 

 
SPEEDがきっかけでR&Bがお茶の間に

1980年代半ばに鈴木雅之、久保田利伸らが種を蒔き、90年代に入ると米倉利紀、LL BROTHERS、ゴスペラーズなどがデビュー…と芽吹きはじめた日本のR&Bシーン。この国に本格的なR&Bのムーブメントが生まれたのは、MISIA、宇多田ヒカルという巨大な才能が登場する98年以降というのが定説だが、本稿ではその前年にあたる97年の J-R&B にスポットを当ててみたいと思う。

「『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系) をはじめいろいろなところで話していますが、日本のR&B元年が98年であることは間違いない。その前の年のことはそれほど語られていないし、だけど “97年” というのは非常におもしろい着眼点だと思います」

そう語るのは、音楽プロデューサーの松尾 潔。MISIA、宇多田ヒカルのデビューに主要ブレーンとして参加し、平井 堅、CHEMISTRYらを成功に導いた、90年代終盤~00年代以降の日本のR&Bをけん引した立役者の一人だ。

早稲田大学在学中にR&B、ヒップホップを中心に執筆活動を開始。アメリカのブラックミュージックに造詣が深く、豊富な海外取材と現地のアーティスト、クリエイターとの人脈に裏打ちされたテキストによって頭角を現した松尾は、久保田利伸の楽曲リミックスを手がけたことをきっかけに音楽制作のキャリアをスタートさせた。97年前後は彼にとって「ライター、ジャーナリストとして活動していた自分が、制作に足を突っ込み始めた頃」だという。

「今は音楽プロデューサーと呼ばれていますが、97年の時点ではプロデュースらしきことはほとんどやっていないんです、実は。海外のミキサーやクリエイターを紹介したり、いわゆるプロダクションコーディネイトはやっていましたが、制作の方に舵を切る気はなかった。そういう仕事が自分に向いているとも思ってなかったし、日本ではまだまだR&Bが浸透していませんでしたから。そうなるといいなという願望はありましたが、心のどこかには正直 “無理かもしれない” という思いもありました」
 
 
(次ページへ続く → アメリカのままでは日本で受け入れられない [2/3] )

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