ありがとうユーミン! 「苗場公演」「ファンの前で」ライブにこだわる、そのワケは?

スキー場でのコンサートという画期的な発想

 そして、年が明けた81年の 3月11日、12日の2日間、苗場プリンスホテルにて冬のリゾートコンサート「SURF&SNOW inNaeba」の第1回公演がスタートする。

 スキー場でのコンサートという画期的な発想を生み出したのは、ユーミンの夫であり彼女の音楽プロデューサーでもある松任谷正隆。アルバム『SURF&SNOW』のプロモーションではなく、リゾートでのアフタースキー的な楽しみ方として、スキーを楽しんだ後、たまたまホテルでユーミンのコンサートをやっていたので観に行った、そんな感覚がおしゃれじゃないか、という氏のイメージからスタートしているのである。

松任谷由実 第1回SURF&SNOW in Naebaのポスター
▲第1回「SURF&SNOW in Naeba」のポスター (提供:キャピタルヴィレッジ)

 そして、この立ち上げには若き学生イベンターが大きく関わっている。現在もユーミンの苗場公演を運営しているキャピタルヴィレッジの荒木伸泰だ。「当時、僕は明治大学の3年生で、プロデュース研究会というサークルに所属していました。広告研究会などはありましたが、コンサートに特化したサークルはなかったので、自分たちで作ってしまったんです。キャンパス文化としてのメッセージやポリシーを表現していこうという組織でした。ちょうど他の大学でもそういった動きが出始めていた時代で、僕も80年の学園祭では、後夜祭にユーミンを呼んでいるんです。それがきっかけでというわけでもないのですが、この学園祭が終わった81年の正月明けに、ユーミンの事務所から『相談がある』と電話をいただきました」

 それより以前、ユーミンは78年に葉山マリーナで第1回のリゾートコンサートを開催していた。当時、まだプールのあった葉山マリーナは遠くに海が見え、停泊するヨットを眺めながらの公演で本物のオウムが登場したり、水上自転車に乗りながらユーミンが歌ったりといった内容であった。83年に逗子マリーナガーデンプールに場所を移し、2004年にプールの改修で終焉を迎えるまで、夏の風物詩として親しまれていった。

 “サーフ” サイドの成功があり、その後 “スノウ” でも同じようにライブを行う、というのは自然な成りゆきだったろう。苗場という場所に決めたのは、当時ユーミンの家に遊びに来ていた大学生たちに相談したところ、「苗場プリンスホテルがカッコいいですよ」と言われたからだそう。あの当時、ゲレンデに直結したホテルは苗場しかなかったこともあり、リッチな大学生たちの間で、苗場は憧れのスキー場であったのだ。「具体的な実務に際して、何人かが僕の名前を挙げてくれたみたいです。当時、学生のスキーツアーが流行っていたので、ユーミンのコンサートを観に行くバスツアーの企画を頼まれたのかな、と思っていたら『君にコンサートを全部仕切ってほしい』と名誉ある言われ方をしました。その時は大学生でしたので、雲母社 (ユーミンの事務所) のスタッフとして第1回の公演に参加することになったんです」

 当時はチケットをオンラインで買えるシステムはなく、当日券が9割という販売方法、しかも情報誌『ぴあ』欄外の “はみだしぴあ” という情報コーナーに1行告知を打つ程度のインフォメーションだったそうである。

 
(次ページへ続く → 座布団に座って楽しむ!? 初のリゾートコンサート)

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