いつかの少年。

うん? なんだこの写真は。少し以前のこと、西明石のクライアントを訪ねた時に久しぶりに立ち寄ってきた。西の方ならおわかりだろう、大阪の曽根崎警察署前だ。昭和60年の4月のこと、僕は写真右手の縁石に腰掛けて、ギターとこれから暮らしを始めるにはさして大きくないバッグと一緒にうなだれていた。夜行の普通列車に揺られ続けた疲れが体全体を包み込んでいた。

 

19歳の僕はどうしても一人になりたかった。それまでそこそこ順調にアイドルへの道を突っ走っていた(ウソ)。音楽の道を志していて、バンド活動していた。中学から組んだバンドはウソでなくそこそこ順調に成長していて、ライブハウスのレギュラーをいくつか抱えてがんばっていた。ただ、僕はこのバンド以外では、ゲストでちょこっと参加するくらいでほとんど活動経験がなかった。20歳前。名実ともに大人になる前に、独りになって自分の音楽への思いとメンバーとの関係を確認したかったのだ。

 

それともうひとつ大きかったのが、かっこいい言い方をするとブルースに身をゆだねたかった。どこまで本物のブルースマンになれるかを試したかった。クズみたいになっても、這いつくばっても歌っているシンガーになりたい。そしてそれは歌だけでなく、後にわかったことだが自分という人間そのものへの渇望だった。いつも何か切り刻んでやりたいガキだった。決して暴力とかを求めたわけではないし、具体時なカタチの不満なんかでもなく、ミックが歌った『サティスファクション』がもっとも言いあてていたかもしれない。ジャンルとしてのブルースマンでなく、これも言いあてるとSIONさんが歌った大好きなフレーズで “明日クズかも知んねえ” を地でいきたかった。結果として、ここを起点にして今もこのフレーズが歌える自分になれた。『サティスファクション』も堂々と歌える人間になれた。あの日から始まった覚醒の月日がなかったら、僕の人生は大きく変わっていただろう。そうか、今年は35年の節目だったんだと、しばしここでボーッと過ごした時間は至福だった。

 

この場所から始まった暮らしがなかったら『昭和40年男』は生まれていなかったなと、久しぶりの第二の故郷で強く強く思った。35年前の疲れ果てた少年は、今の僕を希望していなかったかもしれないが、そいつに僕は「悪くないぜ」と言ってやれる。そして「今日から始まる月日は、ブルースそのものだからがんばれよ」と励ましてあげたい。うなだれていたこの翌々日に、阪急神崎川の近くのボロアパートに転がり込み、商店街でパンの耳を手に入れてかじった、明日クズかも知んねえ日々に僕は苦しさを感じなかった。思い出せば輝きに満ちた日々だ。狂ってるな(笑)。

 

55歳直前にここで感じたことは、あの日の少年と何も変わっちゃいない。まだまだ、明日をどう切り開けるかは可能性が十分あるはずだ。切りつけてやりたい自分はちっとも枯れちゃいない。この地を訪れたことで再確認でき、こんな世の中だからこそ目一杯生きてやろうって気になったりして、極めていい気分を味わえた。見た目はずいぶん枯れちまったが、気にしない気にしない!!

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