ロックのお茶の間革命 〜大編集後記。

 

発売から10日を経た。どうやらご好評いただいているようでホッとしているが、僕は攻撃の手を緩めない。今日もしつこく最新号の記事を紹介する大編集後記だーっ!!

 

昭和の1年を切り取ってお送りする連載特集「夢、あふれていた俺たちの時代」は昭和53年を切り取った。中学生になった年だ。いろんな目覚めが始まって、夢中に泳いでいた頃だ。そんな時代にブラウン管では革命が起こっていた。そもそもの革命は『ザ・ベストテン』の放送が、小6の3学期に始まったことだ。何もかもが画期的だった。『ザ・ベストテン』開始以前にも、夜8時枠の『紅白歌のベストテン』や同じく10時枠の『夜のヒットスタジオ』といった秀逸な番組は存在した。これらを含め、当時のブラウン管には歌があふれていたのだ。『ザ・ベストテン』は完全なる後発にも関わらず、すべての歌番組を凌駕するかのような勢いで歌謡番組の決定版へと上り詰めた。みなさんはその目撃者だろう。木曜夜9時は高い集中力でお茶の間のブラウン管を見つめた。

 

と、革新的な番組のおかげなのか、そういう時代だったのか。その双方がハイテンションで融合したのだなと後付けではカンタンに言えるが、なんせ僕らは渦中にいた。そう、ロックなヤツらがブラウン管の中で大暴れを始めたのだ。前兆はもちろんあったが、昭和53年に大爆発したと言い切れる。だからこそ、ブラウン管を否定するロッカーたちも多く出てきて相乗効果を生んだり、すべてがうまく行き過ぎた日本のロックシーンだ。海の向こうでも、ロックはビッグビジネスへと加熱していった時期だから、この頃のレコードレーベルマンたちはさぞ楽しかっただろうな。

 

ちなみにこの年のジャパンロック事件としては、ロック御三家と呼ばれた原田真二、世良公則&ツイスト、Charの大活躍や、サザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』を引っさげてのデビュー、永ちゃんの『時間よ止まれ』の大ヒットなどなど、あげていったらキリがないほどの百花繚乱イヤーだ。

 

記事では、あの熱狂へと向かっていった時代背景や流れを、萩原健太さんが語ってくれている。健太さんと言えば、バンドブームのけん引役となった『いかすバンド天国』の審査員として、温厚ながらバシッと決める批評に好感を持った同世代諸氏が少なくあるまい。今回もお茶の間ロック革命をパシッと解説してくれている。さあ、まだ手に入れていない人生を損しちゃっている諸君は、今すぐ書店へと走るがいい〜!!
 

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