あの「ロビンちゃん」が初出場! 昭和63年・第39回『NHK紅白歌合戦』と共に当時のヒット曲や世相を振り返る!

国民的歌番組『NHK紅白歌合戦』(以下、紅白) は、今年令和元年の大晦日で70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手などを振り返ってみましょう。最終回は、昭和最後の紅白となった「昭和63年・第39回大会」です。
 

 
光GENJIが日本レコード大賞受賞&紅白初出場

前年デビューの光GENJIが快進撃を見せ、デビュー2年目での日本レコード大賞受賞という快挙を成し遂げました。紅白ではもちろんトップバッター! しかもこの当時はまだ珍しかったメドレーでの登場には、いきなりの大盛り上がりでした。この光GENJIを皮切りに、少年隊、こちらも初出場の男闘呼組、近藤真彦と、ジャニーズ4連続で白組が大攻勢を見せた前半、紅組は中山美穂、工藤静香とアイドル四天王の2人が登場、その前後に松田聖子と中森明菜、さらには小泉今日子をもってくるという、これまた超スタートダッシュで始まりました。
 

紅組演歌勢に新戦力!ロビンちゃんも!

紅白共に初出場6組とフレッシュな顔ぶれが多かったこの年ですが、紅組からもアイドルばかりではなく、坂本冬美、ケイ・ウンスクなどの演歌系に加え、なんと、あの「ロビンちゃん」こと島田歌穂が初出場! まだ20代半ばながら、当時すでにミュージカル女優として活躍、前年に日本初演、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ役で注目を浴びての紅白初出場となりました。『がんばれ!! ロボコン』のロビンちゃんが、こんなに素敵な大人の歌手になっていたなんて!と、なんだかうれしくなったものです。2019年、デビュー45周年を迎えたロビンちゃんは、今も実力派として現役で活躍していますよ!
 

J-POPという言葉が生まれた昭和63年

新しいジャンルの音楽を引っさげて、フォークでもロックでもないグループやアーティストが続々とメジャーデビューし、「J-POP」という概念ができたのが、昭和最後の年となった1988年のこと。新興FM局、J-WAVEが名づけたこの呼称は、時代を超え定着したジャンルとなりました。歌謡曲という、それまで慣れ親しんできた曲より、ちょっとおしゃれなJ-POPの波はバブルの勢いと共に、来る新しい時代への高揚感を私たちに与えてくれました。すでにベテラン陣と言われるようになっていた、陽水、ユーミンなどがミリオンセラー多発時代の口火を切るメガヒットを連発! 活動休止していたサザンが復活、和製R&B・久保田利伸がブレイクするなど、音楽業界はいまだかつてない活況を見せました。

まさにバブルの真っ只中で、東京ドーム、青函トンネル、瀬戸大橋といろんなものができました! 全国の3,245市町村に一律1億円という巨額の地方交付税配分が決定し、その使い道に注目が集まった自治体も数多くありました。ソウルオリンピックでは、鈴木大地がバサロ泳法を武器に100m背泳ぎで日本男子競泳界に16年ぶりの金メダルをもたらした、あの感動も忘れられません。プロ野球史に残る伝説のダブルヘッダー「10.19」の近鉄の悲劇や大相撲・千代の富士53連勝など、今も記憶に残るスポーツシーンがいくつもありましたね。そして、大人気のトレンディドラマに影響を受け、彼女におしゃれなデートをせがまれたという昭和40年男世代もたくさんいたでしょう! とにかく華やかで、高級志向が高まりを見せた1988年、翌年には平成元年を迎えることとなるのでした。
 
 
※当時のレコードジャケットなどは、『昭和40年男』6月号増刊『俺たちの胸に刺さった 昭和ソング』p.40~41に掲載されていますので、あわせてご覧下さい。
 
(『昭和40年男』編集部・まつざき)
 

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