ペヤングとベイ・シティ・ローラーズが昭和50年のおもひで!!

まだまだ修行が必要なのはわかっちゃいるが、何もしないよりやったほうがいいだろうのスピリットで、公式サイトに盛り込む動画作りを始めた。『俺たちの昭和歌謡』と題してわがままなベスト3をみなさんに強要するという、なんとも『昭和40年男』らしい企画である。

 

自分の影響を受けた歌謡曲を整理するのは楽しい作業なのと、あれこれ思い出がフラッシュバックするのがいい。今回お届けした昭和50年の僕は小学4年生だった。動画ではふれていないのだが、この年の僕にとって大きな事件がいくつもある。その中でも『ペヤングソース焼きそば』がデビューしたのは衝撃的だった。まさか焼かずに焼きそばとは。日清やサッポロ一番の袋入りの焼きそばも厳密に言えば焼いていない気がしなくもないが、それでもフライパンを使って気分は焼きそばだ。が、くどいようだがペヤングは焼かない。

 

当時の親たちは即席麺に対して懐疑的だった。体に悪いとのイメージを持っていて、特にカップ麺になるとうちのお袋は沸騰させないからとダメ出しをした。ところがお袋の兄貴の家に行くとカップ麺をジャンジャン食わしてくれた。僕のペヤングデビューは叔父貴の家だったと記憶している。何度か食った中で一度湯切りをしくじった。叔父貴の家では湯切りをいつも庭でやっていて、そんなある日のこと。ふたごと地面に中身が落ちたのだからさあ大変。ジャンジャン食わしてくれるとはいえ、その価格が当時としては安くないことくらいバカな小4でも理解していたから、泥のついた麺を急ぎ洗った。具がほぼ流されてしまったうえ、冷たくなった麺にソースを混ぜて食ったペヤングのうまくないこと。と、そんなことを思い出したりした。

 

そして昭和50年でパッと出てくるもうひとつの思い出が、vol.50で特集した『昭和洋楽』でも取り上げたベイ・シティ・ローラーズの『サタデー・ナイト』の大ヒットだ。それまで接したことのない世界を女の子たちが教室に持ち込んだのである。日本中をフィーバーさせて、以来洋楽はグーンと身近になった。その功績は大きく、その後日本が洋楽にとって大きなマーケットになる起点となったのである。そしてつまり、このおかげで僕は『昭和40年男』らしい1冊を作ることができ、おかげさまで先日売上報告があり大成功を収めた。な〜んて、感謝の気持ちとあの日のクラスの女の子たちのざわめきが鮮やかにフラッシュバックしたのだった。と、少しでも多くの方に見てもらいたく、本日は昭和50年にふれてみましたーっ!!

 

 

 

 

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