発売日に我想う。

昭和40年男 2018年2月号 vol47さあ、今年1発目のいよいよ今日は発売日だ。今回の表紙はこれまでにないタイプで、編集長のチャレンジを讃えた僕だ。冒険は失敗に繋がることもあるが、冒険なくしてその先にあるこれまで以上の評価はない。どっちに転ぼうとかまわん。大切なのは冒険することじゃ。と、偉そうなことを言うことで自分を鼓舞しながらも、やはり支持されたいと願う小市民である。現場の苦労や努力を見ているからなおさらで、発売日の度に祈るような気持ちになる。

内容にもチャレンジスピリットがあふれている。たかが笑い、されど笑いとでも言えばよかろうか。よくぞ詰め込んだものだと喜んでいる今日だ。その内容は書店で手に取って確かめていただき、価値を感じたらレジへ運んでくれっ。

さて、笑いといえば思い出す。僕はドリフターズのメンバーになるという夢を描いた時期があったバカモノで、将来のビッグな自分を想像しながら芸を磨いた(!?) 小学生だった。僕が通う小学校では、お楽しみ会なる各自が自由に出し物を披露する会がわりと頻繁にあった。みなさんはどうだっただろう。個人でもグループでもいい、各自の意志によりフリーテーマで芸を披露する。楽器を演奏する者、手品を披露する者、そして僕は必ず “笑い” を仕込んだ。ドリフのコントを真似ながら自分のクラスネタを練り込んだり、女装してキャンディーズを歌うなんて芸と呼ぶには脆弱ながらクラスのみんなに笑ってもらった。大きな笑いを作り出すことで、次のお楽しみ会へのさらなる努力を目指す。な〜んてバカモノだったのだ。

やがてお楽しみ会の枠から飛び出てテレビ番組『ぎんざNOW!』のワンコーナー、素人コメディアン道場からのお笑いデビューを目論んだ。そのタイトルどおり、素人のお笑いコンテストでオーディションを通過すればテレビに出て、勝ち抜き戦を戦うというものだった。小学生ながらネタづくりから本気で取り組んでオーディション会場へと意気揚々出かけた。小さなスタジオに参加者全員が押し込まれて熱気ムンムンの中で次々に披露される大人たちの笑いはレベルが高く、僕の鼻は根っこからへし折られた。この日の落ち込みと悔しさはそれまで感じたことがなく、帰り道の挫折感は今も忘れない。だが、この経験はガキの僕にとってかけがえのないものになった。真剣に取り組む大人たちの迫力を嫌ってほど知らされたのだから。

と、発売とまったく関係ないことを思い出しながらも、あの頃笑いを夢見たことは今の仕事に就いている自分に確実に繋がっている。つまるところ、ドリフターズとお楽しみ会は今日の発売日と繋がっているんだな(笑)。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

3件のコメント

  1. お仕事お疲れ様です。
    59ページの時系列(1980年代からの、関西芸人が活躍したお笑いテレビ番組)についてですが、「ヤングおー!おー!」は、放送局が(NET他)とありますが、(TBS系)にしていただきたかったです(関東地方での放送局がNET→東京12チャンネル→TBSと変遷しているのは確かだが、時系列が1980年代から始まっているのだから、その時点でのネットワーク=TBS系を表記した方が良い)。

  2. やはり我々世代の少年時代のお笑いはドリフとは切っても切れないですね。私も真面目に志村けんに弟子入りしたいと思ってましたから笑。
    人を笑わせるプロとして個人的に一番最初に憧れたのはマチャアキですね。ハッチャキマチャアキに出ている堺正章を、小さな画面に顔が食いつく様にして目で追い掛けてました。
    つぼということで言えば、さんまの衰え知らずのトーク力と、タモリの好きなこと以外は全く興味を示さないあのゆるゆる感は、嫌いになりようがない笑いの海苔弁ですね。

    • おおーっ、同類ですね。
      おっしゃる通り、さんまさんのトークは最近おもしろさより感心させられる方が強いです。真剣に見てたりします。
      タモリさんも素敵ですね。あんな大人になりたいです。

コメントは受け付けていません。