大編集後記その弐。荒木大輔フィーバーの記憶。

さあ、いよいよ発売が明日に迫った。今頃は書店の倉庫で戦闘準備中のカワイイ『昭和40年男』たちよ、善戦を祈る。では、最新号発売前後の恒例となっている大編集後記をお届けさせていただこう。

毎号掲載している『夢、あふれていた俺たちの時代』は、昭和のある1年を切り取ってさまざまな出来事を検証している連載特集だ。毎号、かなりのボリュームを割き、力を注いでいる。今回は昭和40年男が15歳になる昭和55年を取り上げたぞ。

多くの昭和40年男が高校受験に向けて、人生で初めてとなる大きな選択を強いられたことだろう。我々が受験勉強に励んでいたこの年の夏休みに、大ちゃんフィーバーは巻き起こった。たった1つ上の先輩が甲子園で快投を繰り返し、ついに決勝まで進んだという話題に野球世代の俺たちは熱くなった。と同時に、大人の世界だと思っていた高校野球がグーンと身近になったのは、進学が目の前に迫っていた気持ちも絡んでのことだろう。

僕が通っていた荒川1中では、受験対策の特別授業として夏休みも学校に駆り出された。通常の授業と違って受験に絞った内容はちょっと新鮮な感じがして、クラスも成績順に特別に組まれたと記憶している。なれない教室でのいつもと違うメンツで学ぶのは、これもまた新鮮だった。そしてそのコミュニケーションに、荒木大輔さんの活躍が一役買ってくれたのだった。

甲子園での決勝の相手は横浜高校、投げ合うエースは後にロッテで打者として大活躍する愛甲選手だった。どちらが勝つかに皆注目して、女子たちに大人気だったのがおもしろくなかったのか、男子たちは愛甲選手を応援する声が強かった。結果、先輩の貫禄を見せて男子たちは女子を黙らせることになる。

そんな夏休みの教室を思い出させたページでは、荒木さんご本人が登場し、当時を丁寧に語ってくれている。大フィーバーぶりを振り返りながらも、それに踊らされることなく真摯に野球と向き合った先輩の姿勢が見えてくる、充実のページだ。じっくりと楽しんでいただきたい。

S126-127

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