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昭和の下町に鳴り響いたラッパに感謝。

2017 年 8 月 10 日 プロデューサー コメント

夕暮れ時の下町にラッパの音が鳴り響く。「明広、5丁買っといで」と母親から鍋を渡されると僕の胸はズタズタになる…と、僕の昭和40年代の原風景だ。ラッパの主は豆腐屋さんで、5丁の指示がある日の我が家は親父の大好物の湯豆腐になる。「育ち盛りなんだから肉だろがっ」と心でだけ叫んで、小銭を受け取り豆腐を乗せたチャリンコへと駆けていく。

 

 

あの頃はいろんなものを売りに来てたっけ。「石焼き〜芋」といい香りを漂わせながら女子供たちを誘惑する。玄米パンなんてのもあった。僕の住んでいた荒川区役所界隈には、子供が狂喜乱舞するあやしい食べ物を屋台にどっちゃりと積んだ移動式の駄菓子屋、通称カンカンババアなる店があった。どのメニューもガキには魅力的で、カンカンババアが一時停車する周囲は我々の社交場でもあった。夜10時を過ぎれば夜泣きそばが屋台を引いてきて、親父に必死にねだる。ごく稀にだが連れて行ってもらった時の幸福感たらなかった。寒い夜に家族4人で立ち食いするのは、普段行儀のことばかりしかる母親が別人のようで嬉しかった。そんな中でやはり、豆腐のラッパだけは迷惑だった。

 

 

湯豆腐40年以上の時を経て、我が家ではつい先日もこの鍋をつついた。あの頃、まったく歓迎しなかった湯豆腐は今やもっとも食べたいメニューのひとつである。幼い頃に仕込まれた舌ってのはまったくたいしたもので、歳を重ねるほどに回帰するかのようだ。熱中症やゲリラ豪雨の報道を見ながらつつく湯豆腐は季節感をまったく無視したもので、これは四季折々を愛することを良しとしている僕としてはまったくナンセンスだが、食いたくなるのだから仕方ない。ほぼ使わないクーラーにムチを入れ、よ〜く冷えたビールでこいつをほおばれば幸せいっぱいのおっさんが出来上がる。

 

 

親父がこいつを好物でいてくれてよかった。そして、商売をしていた我が家にとってはラッパとチャリンコで売りに来てくれた豆腐屋さんがいたからこそ、頻繁にこのメニューになったのだ。結果として、その将来に幸せな昭和40年男が出来上がったのだから感謝だな。

 

 

 

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