大編集後記その八:山本譲二さん登場。

みちのくひとり旅山本譲二さんと聞けば、♪ここで一緒に〜♪と、多くの昭和40年男が歌い出すことだろう。その譲二兄貴に、タイトルもバッチリの連載企画『ガツンとひと言。兄貴の説教』に、ご登場いただいた。

『みちのくひとり旅』の発売は昭和55年ながら、火が点いたのは昭和56年で『夜のヒットスタジオ』への出演がキッカケだ。俺たちの原風景である『ザ・ベストテン』に長くランキングされていたのを思い出す。そのまま超ロングセラーとなり翌年まで売れ続けた昭和の名曲の1つである。

当時は『夜のヒットスタジオ』がキッカケという曲が多く、僕が鮮烈に記憶しているのは柳ジョージ(おおっ、ジョージ繋がり!!)&レイニーウッドの『雨に泣いている』を、初めてブラウン管越しに目にした夜だ。この日がなかったら、ジョーやんのその後は大きく変わっていたかもしれない。この出演によって、僕らはお茶の間でブルースロックを知り、彼の人気も爆発してその後は常にシーンを引っ張った。ちなみに、デビューできたがくすぶっていた僕の友人が『夜のヒットスタジオ』に出演した時は、これでヤツもスターだと歓喜したがさっぱりだった。みんながみんな『夜ヒット』から登り詰められるわけじゃない(当然)。

話が脱線してしまった。譲二兄貴の『みちのくひとり旅』は、この年のオリコンシングルチャート堂々の第16位で、『ザ・ベストテン』の年間ランキング2位を獲得している。この年の1位が『ルビーの指輪』だった、昭和40年男たちにとってなじみ深い年で、きっとおおよそのヒット曲を口ずさめる。常々思うことだが、バラエティに富んだ歌謡シーンを見て育ったことはなんと幸せなのだろう。『ルビーの指輪』のようなシティポップのハシリがあれば、松任谷由実さんや松山千春さんら、実力派シンガーソングライターたちの活躍もあり、マッチやトシちゃん、聖子ちゃんらアイドル勢もヒット曲を連発している。そのなかにあって『奥飛騨慕情』や『大阪しぐれ』なんて演歌が、オリコン年間チャートのベストテン内にランクインしているのだからスゴイ。そしてこれらの雑多な曲を一括りにして『ザ・ベストテン』は僕らを夢中にさせたのだ。つくづく幸せな時代である。

『みちのくひとり旅』で思い出すのは『ザ・ベストテン』でのフンドシ姿だという昭和40年男が多いだろう。これについては自身のコメントがたっぷりと聞けていて、きっとなるほどと頷くことだろう。もう1つ、僕が『ザ・ベストテン』で覚えているのが、スナックでバイトしているときに瓶に残ったビールをラッパ飲みしたら、タバコの吸い殻が入っていてエライ目にあったというトークシーンだ。なんでこんなくだりを強く記憶したのかわからんが、僕はバイト先の居酒屋で残ったビールを飲むときはグラスに注いぐことを心がけた(笑)。そんな黒柳さんとのトークは、凛々しく歌う姿とのギャップが大きく、昭和40年男たちは親近感と好感を持って見つめていたはずだ。そんな記憶を蘇らせながら読み進めてほしい。ひたむきな姿勢で歌と歩んできた譲二兄貴からの説教は、ズシンと心に響くことを約束しよう。

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2件のコメント

  1. 当時、演歌で『ザ・ベストテン』といえば、譲二兄貴のフンドシ姿のほか、大川栄策師匠もタンス担いで歌ってましたよなぁ~ ROCKだぜぇ~☆

    • ハハハ、思い出しました。完全にタンスの奥に入っていた記憶が蘇るのって楽しいものですね。ありがとう。

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