仲井戸麗市、チャボさん。

「チャボさんとお呼びしていいですか?」「いいですよ。チャボでいいです」と、気さくに答えてくれた男は、僕に大きな影響を与えた仲井戸麗市さん、その人だ…。

次号の特集は、“俺たちの熱”をテーマに組んでいて、前回のハードに対して今回はソフトをかき集めている。ワクワクするものがあふれていた中から、特集内で取り上げるものを設定していく作業は、ある程度は偏りが出てしまう。むしろワガママでいいと思っている。みんなにわかってもらえる雑誌じゃなく、異論反論も巻き起こってこそが、雑誌の立ち位置だ。そして今回の特集でもっとも大きなワガママは、主役級にRCサクセションを起用したことだ。彼らが最も活躍した時代は80年代で、そう考えると昭和40年男にとってはハイティーンのころである。音楽をむさぼるように聴き出したころで、選択肢はたくさんあった。百花繚乱のごとく次々と新しい音楽が出てきては消えてを繰り返し、巨大なプロモーション費を使ってヒット曲を練り上げる時代にも突入していた。そんな頃に、わざわざRCサクセションを選択したヤツはアホだ。もっともっと賢い選択があっただろう。それでもRCサクセションにハマってしまった親愛なる昭和40年男たちに愛を込めて、僕はこの特集の主役級に押し出したのだ。異論反論上等の気概で、まっすぐに打ち込むよ。

残念ながら清志郎さんはもうこの世にいない。どっこいこの人がいるとターゲットにしたのは、もちろんチャボさんである。大物である。さてさて、聞いたこともない出版社の、多分聞いたこともない雑誌の取材を受けてくれるのか? 事務所の方から本人が雑誌を見て判断するとの連絡があり、見本誌を送って待つ日々の長いこと。これは自分の分身がチャボさんのお目にかなうかという、審査でもあるのだから。担当の編集部金子と東海道を歩きながら、「どうなのかなあ」「無理かなあ」「チャボさんのインタビューができなかったら、RCのページは難しいね」との会話を繰り返した。旅から帰ってきて数日後のこと、事務所から快諾の連絡が入った。「ヤッター」と、昨日出かけてきたのだ。

今回のインタビューはRCサクセションの話がメインである。それを依頼書に素直に書いた。現在も一線で活躍するミュージシャンに過去のことをうかがうのは失礼だとは常識として思う。それでも雑誌の企画主旨だからと伝える。こうして土足で踏み入るのが雑誌の仕事であり、つらさでもあるものの、誠意を持ってあたりうまくいった時は、自分たちの仕事に誇りを感じる。昨日はまさにそんな内容となった。こうも赤裸々に語ってもらっていいのかというほど、たくさんのキラキラした想い出話がこぼれて、涙をこらえるのに必死だった(一部崩れたが)僕だ。

17歳の夏に横浜スタジアム(サム・メーアとチャック・ベリーと共演した伝説のライヴ)にいたことを告げると「おお、あそこにいたんだ」と、さも一緒にいたかのような言葉と気持ちが向かってくる。気取ったところなんかひとつもなく、自然体でものすごくカッコいい男がそこにたたずんでいる。不思議なことにステージに立っているチャボさんとまったく同じ雰囲気も感じるのだ。無理矢理にスイッチを入れてステージに立っていた人じゃないのだ。そう感じた僕だった。

インタビューが終わり、早々に引き上げる彼を見送ろうと玄関まで追いかけた。雨の街へと出て行くところの背中に大きな声で「ありがとうございました」と声をかけると駆け戻ってきて握手を求めてくれ、そして何度もライヴで見たあの姿、片手を上げて笑顔を観客席に投げながらそでへと入っていくように、チャボさんはまた雨の中へと行ってしまった。

最新号に、そして僕にスゴく大きなエネルギーをもらった。還暦を過ぎてもまだ走る男の言葉は深く響くはずだ。RCサクセションが嫌いだった、興味がなかった男たちにも必見ですぞ。

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