「梅ジャム」と「あんこ玉」。

先日、駄菓子にまつわるミッションを受けて、色々と調べてみると我が故郷の荒川区には偉大な菓子メーカーが多くあることを知った。ちょいとそれるが、以前ジャンクなプラモを特集した時に駄菓子屋で多く流通していたプラモメーカーの童友社が、実家から歩いて1~2分のところにあることを知った。さらに2代目のご長男が僕と同じ小学校に通っていた昭和40年男だったのは、アッと驚く為五郎だ。そして今回のミッションで駄菓子のことを調べてみると、ガキの頃大変お世話になった『梅ジャム』も荒川区の生まれで、つい最近まで1人の男が作り続けていたことを知った。興味ある方はこのいい話に触れていただきたい。

 

さらに僕の得意技だった、『あんこ玉』も荒川区で作られていたのだ。あんこ玉? 得意技? うん、おそらく東京ローカルの駄菓子だろうからご説明しよう。あんこ玉はその名の通り小さなあんこの玉で、きな粉でコーティングされている。ぎっしりと詰まった感じの絶妙のあんこで 、きな粉の香りとのマッチングは子供心に完璧だと思っていた。その玉の中心に、小さな白い玉が入っていると当たりで大きなあんこ玉がもらえるのだ。得意技とは当たりを見つけるのがほぼ完璧だった。で、あまりにも完璧だからある日僕は購入禁止命令を受けたのだった。と、そんな理不尽も昭和の駄菓子屋ならではである。

 

それにしても、現代では考えられないほど不衛生である。箱に入っている裸のあんこ玉をガキどもは素手で当たりを物色するのだ。そうした売り方の菓子は当時多くあり、これまた大好きだったソースイカも箱に手を突っ込んで大きいのを探した。エンガチョである。昭和の駄菓子屋は、こうして男たちのお腹を丈夫にしたのさ。

 

使われていたあんこは保存料を使っておらず、特殊製法で日持ちするそうだ。ガキの頃のあの日、まさかそんな高い技術が込められたなんて知らずに頬張っていた。そして今の今まで時間は過ぎてしまった。その辺もご興味のある方はこちらをご覧あれ。大人たちの愛と優しさに包まれて俺たちはすくすくと育ったのだなと、今更ながら感謝の気持ちでほっこりさせてもらえた『梅ジャム』と『あんこ玉』秘話だった。

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