昭和なニュー〇〇ビルを守れ!!

ずいぶん長いこと、僕は大田区のスラム街…いや失礼、ハイソタウンの蒲田近辺に住んでいる。もうかれこれ人生の半分になろうかというほどで、雑色を皮切りに沼部、下丸子と多摩川沿いで移り住んでいるのだ。蒲田は物価の安い街としてテレビなんかで取り上げられることも多いからご存知の方もいるだろう。昭和の香りがプンプンするから遊びに来たことがある方が多いかもしれない。

 

駅前にはこのニューカマタビルがある。そう、このネーミングのビルはズバリ昭和だ。80年代以降にこのビル名をつけたらナウでヤングな若者は寄りつかないだろうから、このビル名には俺たち世代が多いのではないかと調べてみると、ちなみにこのニューカマタビルは昭和41年生まれだ。うむうむ、当時は“ニュー”の響きがナウでヤングだったのだろう。

 

都民にとってニュー〇〇ビルといえばなんてったって新橋だ。こちらは昭和46年だから蒲田の少し後輩だ。あちらの地下は様々な業態のショップと飲食店がひしめき合っていて極めて昭和だ。ただし、すべての店がその見せかけのように安くないのは要注意だ。サラリーマンの味方とのキャッチコピーがつく新橋は、このビル内だけでなく意外に高くつく店があるのを注意喚起しておこう(激安店ももちろんある)。

 

日本全国にニュー〇〇ビルが存在していることだろう。そしてそのほとんどはこうした飲食店を迎え入れた雑居ビルで、70年代までに作られたものだろうから、どこもそろそろやばいことになっているはずだ。ビルがなくなることで、なんとかがんばってきたご高齢店主の経営する飲食店が暖簾を下ろしてしまうなんて話もよくある。きっかけになってしまうのだ。コロナもずいぶんと多くの昭和を奪ってきた。今こそニュー〇〇ビルたちはそのスピリットに立ち返り、立て直して堂々と“ニュー”を名乗り続けてはどうだろう。その場合、昭和の飲食店のテナント料は据え置きにしてあげてくださいな。って、無理な話だよな。

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