図工オンチ少年の惨劇

昭和40年男の少年時代は、決して楽しいことばかりじゃなかった。今思えば笑っちゃうようなことでも、俺たちは真剣に悩み、戦っていた! ここではホロリと苦い“悲惨な戦いの記憶”を通じて、昭和40&50年代という時代を振り返ってみたい。

特選受賞の陰で新種甲殻類誕生!?

秋といえば食欲にスポーツ?俺は断然芸術の秋だね! ってのは大ウソ。だって俺、図工が苦手だったから。小学校6年間通信簿の図工ずーっと3。絵も工作も得意じゃなかった。
水彩画は絵の具が乾くのが待てなくて、塗った隣にすぐ別の色塗って混ざってにじんで台無し。あと人の横顔や斜め顔が描けなくて、身体は横向きなのに顔だけこっち向いててエクソシストのリーガン状態。
それでもある写生会で、寺の燈篭をなぜか丹念に描いたことがある。絵の具も乾くの待ちながらていねいに塗ってさ。

「今日はいい感じじゃない!」

と女先生にもホメられたが、燈篭のバックを描くのが面倒くさくなってしまい「いいや、森にしちゃえ」って緑絵の具で隙間なくベタベタベタ!

「なんで森にしちゃうの?」と先生はガッカリしていたが、とにかく絵画に必要な〝根気〟が、俺には全くなかった。

苦手な工作も、ある日頑張った。「画用紙で部屋を作る」ってことで(当時は小坂明子『あなた』が大ヒット)俺はテーブルとイスを作りテレビも置いた。ふと「テレビ画面に何か描こう」と思い、日めくりカレンダー風に描いた画面の内容は『特ダネ登場』! 1枚目で司会の押阪忍さん、2枚目で解答者の長門裕之さん&南田洋子さん夫妻が登場、3枚目で「今週の珍名さん」コーナーへ。会心の出来!

「何それ? 俺も作ろうっと」

なんと俺のアイデアを、隣の席のH田君が横取り。しかも紙芝居風にしてグレードアップ!

「すげーじゃんH田!」
「H田くんの、おもしろーい!」

俺が作った『特ダネ登場』は闇に葬り去られた。そんなわけで図工は好きじゃなかった。

だが一度だけ、図工で頂点に登り詰めたことがある。
小5の時“色版画”を作らされた。色紙を切り、紙に貼りハケで水を塗って画用紙にペタン、色付き版画ができる代物。
前日に「明日の色版画の絵柄を決めてきてね」と宿題が出され、家に帰ったものの絵柄が決まらない。さあどうしよう。

「!」

居間の片隅に飾られた盆に目が留まった。黒塗りの巨大な盆に、水から飛び跳ねる鯉が描かれている。これでいいや!
というわけで翌日、海の青と鯉の赤の色紙を切って貼って、水を塗って画用紙にポン。できた。そしてクラス全員、自分の作品を壁に貼り、帰った。
翌日、学校に行くと…なんと俺の鯉に金紙が貼られ、しかも「特選」の2文字が! 色版画は参観日に父兄に見せるそーで、優秀作品には金紙が貼られたのだ。そしてクラス40人中、特選は2本だけ。やったー!
だが金紙の脇に貼られた総評を見て、俺の目は点になった。

「元気に跳ねるエビガニが、上手にかけています」
「……?」

いやこれ鯉だけど。だが「これは鯉です」と正直に言うと、人生初の特選が取り消しになってしまう。俺は黙っていることにした。
そして参観日。母が「これお盆の鯉?」とかウッカリ言うこともなく、俺の特選受賞は守られた。人生で、美術で賞をもらったのは、結局これ1回だけ。

翌年、変なことが起こった。写生会で描いた絵から、クラスで2枚選んで市の作品展に出すことになり、1枚は上手くもないA川君の絵が選ばれた。小屋を描いただけの凡庸な絵。
だが「今回のA川君の絵、いいのよね」と担任女先生は言い張り、小屋の絵は出展された。まさか女先生、A川親から…何かもらった? 真相を確かめようにも、当時すでに初老だった先生は、今はきっと空の上。
エビガニが鯉だったことも含め、真実は全て闇の中。ってかエビなのかカニなのか。新種の甲殻類かよエビガニ(ザリガニをそう呼ぶ地域があるらしい)。

文:カベルナリア吉田

昭和40年生まれの紀行ライター。普段は沖縄や島を旅して、紀行文を書いている。新刊『ビジホの朝メシを語れるほど食べてみた』(ユサブル)、『ニッポンのムカつく旅』(彩流社)発売中。2月9日(日)沖縄・那覇栄町市場「おとん」でトークショー開催。よみうりカルチャー講座「東京ワンデイスキマ旅」「オキナワ達人養成講座」もヨロシク!

【「昭和40年男」vol.57(2019年10月号)掲載】

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