「あ~あ~果てしない~♪」クリスタルキング初出場の昭和55年・第31回『NHK紅白歌合戦』と共に当時のヒット曲を振り返る!

国民的歌番組『NHK紅白歌合戦』(以下、紅白) は、今年 令和元年の大晦日で70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手などを振り返ってみましょう。第10回は、新人のトシちゃん&聖子ちゃんが初出場した「昭和55年・第31回大会」です。
 

 
時代は ’80年代に突入!

昭和55年、西暦1980年は、まさに音楽界の地図が塗り替えられようとしていた年。山口百恵が結婚、引退し、松田聖子がデビューするという、アイドル新旧交代の年でした。そんな ’80年代幕開けの紅白は、日本レコード大賞 最優秀新人賞の田原俊彦と、同じく新人賞の松田聖子が、2番手対決として登場。レコードデビューしたばかりのマッチと、よっちゃんがトシちゃんの応援にかけつける一幕もありました。そして、その「たのきんトリオ」が出演して話題となった、ドラマ『3年B組 金八先生』の主題歌として大ヒットした『贈る言葉』で、海援隊が実に6年ぶり2回目の出場を果たしています。続く第2シリーズもヒットした同番組からは後にたくさんのアイドルが生まれましたね。姉妹での出場が話題となった、新人・岩崎良美と、姉の岩崎宏美ですが、妹の良美がこの年以降の出場がなかったため、結果的には姉妹そろっての快挙はこれが最初で最後となりました。
 

クリキンともんたの衝撃

紅組からは、シンガーソングライターとして注目を浴びていた二人の実力者が初出場を果たしています。八神純子は9thシングル「パープルタウン」を、五輪真弓は18thシングル「恋人よ」を披露し、共に圧巻の歌唱力で視聴者を魅了しました。一方の白組の初出場、「大都会」のクリスタルキングと、「ダンシング・オールナイト」の もんた&ブラザーズもキャリアのある実力派グループで、どちらの楽曲もとてもインパクトがあって、いまだに歌い継がれている名曲ですね。しかし、メジャーデビューであるこれらの曲の印象があまりにも強すぎたためか、2曲目以降は大ヒットとなる曲が生まれにくい傾向となったものの、間違いなく記憶に残る白組初出場の二組でした。
 

2年連続同じ組み合わせのトリ

毎年その人選が注目されるトリですが、紅組は八代亜紀、白組は五木ひろしと、前年と同じ顔ぶれが務めることとなりました。日本レコード大賞では歌唱賞・金賞の常連だった八代亜紀が「雨の慕情」で、この年念願のレコード大賞を受賞し、紅白では2年連続の大トリという大役を果たしました。まさに演歌の女王としての実力が認められた年だったと言えるのではないでしょうか。

上記のとおり、紅白は演歌で締めくくられた一年でしたが、音楽シーン全体を見てみると、前年にテクノポップブームを巻き起こしたYMOの勢いは止まらず、とにかく「テクノポリス」と「ライディーン」が、街中いたるところでかかりまくっていました。それに続けとばかりに、いわゆるピコピコロッカーたちが続々登場。近田春夫プロデュース、ジューシィ・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」はゴキゲンな曲でしたね! そしてJ-POPキング・山下達郎&J-POPクイーン・松任谷由実の快進撃で、ポップスの新たなジャンルを認知させたのもこの1980年でした。達郎は『RIDE ON TIME』、ユーミンは『時のないホテル』、それぞれのアルバムのヒットで、あらためて世間にその存在を知らしめました。テレビ全盛期にあって、そのテレビにはあえて出演することがなかったからこそ、昭和40年男たちもそんな彼らに特別な憧れを抱いたのかもしれません。もちろん、2018年末、7年ぶりに紅白のステージに登場したユーミンも最高に素敵でしたよ!
 
 
※当時のレコードジャケットなどは、
  『昭和40年男』6月号増刊『俺たちの胸に刺さった 昭和ソング』
 p.024~025に掲載されていますので、あわせてご覧ください。
 
(『昭和40年男』編集部・まつざき)
 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で