YMOとの出会いはフジカセット〜大編集後記。

 

発売直後の恒例、大編集後記を今日もつぶやくぞ。

 

洋楽を聴き始めた中坊の頃、日本の音楽が海を越えるのは至難の技だと思っていた。それ以前の坂本 九さんはちょっと例外として、フィンガー5やピンク・レディーが殴り込んで玉砕したというイメージも子供心に強く残っていた。だがYMOが奇跡を起こした。日本人のグループが実力で海外へと向かっていき、通用どころかシーンに影響さえ残した偉大なYMOだ。

 

初めて耳にしたのはフジカセットのCMから流れてきた不思議サウンドの『テクノポリス』だった。未来を音で突きつけられて、東京は何年か後にすげぇカッコいいところになるのだろうという期待を持った。ちなみにあれほどカッコイイCMだったのに、肝心のフジカセットテープはあまり支持されなかったように記憶している。今考えればそんなに性能差があったのか疑いたくもなるが、圧倒的にTDK・ソニー・マクセルが人気だった。僕は家が電気屋だったから、フジカセットよりもさらに人気のないテクニクスのテープを使っていた。なんといってもねだれば貰えたから(笑)。そんな恩恵に預かっているにも関わらず、なんでウチはソニーを扱っていないんだって親父に苦情を言ったりした親不孝ものだ。それでも、勝負カセットはTDKを購入していた。金は常に枯渇していたから、僕にとって最高峰テープはADだ。が、僕の再生環境ではテクニクスと差異は見出せなかった。要するに、ブランド戦略にコロッといってしまう、大人たちに都合のいいガキだったのさ。

 

なんの話だ? YMOだよ。今でこそ前述のように持ち上げられるが、僕はどちらかといえばYMOに対してやさぐれていた。ロックに傾倒していく真っ只中にいた僕にとって、あまりにも先を行き過ぎていたのと汗の匂いがしなかったのがどうもダメだった。それは今回の特集『デジタル大革命』の4つのセクションのひとつになった“音楽”の章では、同じように否定的だった方々が現場にいたことも語られている。プロフェッショナルの現場でも、最新の音楽づくりに対してそんな葛藤があったことを知ると、ダメな自分をちょっと擁護できたりする。

 

音楽に詳しい方でなくとも、そんなことがあったんだ、そんな背景の上に成り立っているんだとうなづける内容になっていると胸を張る。ぜひっ、手にとってレジへと運ぶか吟味してくれっ!!

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2件のコメント

  1. おぼろげですが、フジカセットはたしか青いレーベルではなかったでしょうか。何本か持ってました。あと実家近くにあった街の電気屋さんが日立のお店だったので、ローディーのテープも使ってました。一番好きだったのはTDKでしたね。ADを基本にクロームのSAから勝負テープのMA-Rまで相当お金をつぎ込みましたね。

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