「虫歯」という生き地獄!

昭和40年男の悲惨な戦い

昭和40年男の少年時代は、決して楽しいことばかりじゃなかった。今思えば笑っちゃうようなことでも、俺たちは真剣に悩み、戦っていた! ここではホロリと苦い“悲惨な戦いの記憶”を通じて、昭和40&50年代という時代を振り返ってみたい。

ガムチョコ禁止で戦った、あの日に帰りたくない!

お風呂入れよ! 歯ぁ磨けよ! また来週!
と、カトちゃんに言われても、俺はつい歯を磨かないで寝てしまい、そのせいか虫歯が多くて歯医者にもよく行った。俺たちがガキの頃は「正しい歯の磨き方」とか浸透していなかったから、虫歯の奴は多かったと思う。
夏休みっていうと近所の「N島歯科」に行かされ、小3の時は8月31日の夜も歯医者。「俺の夏休みってなんなのか」と思ったがそれ以上に…当時の歯医者は痛かった。マジ痛かった!

「はーい口を大きくあけて!」

ウィーン!(オーストリアの首都ではない)小型の器具がうなりを上げ、俺の歯に迫ってくる。脳の奥までキーンと響く金属音。やめろ、やめてくれー!

 ウイイイイイイイイイン!
 あわわ、あわわわわわ!

器械の先端が奥歯に差し込まれ、患部を削り始めた。全身ビーンとつっぱらかって硬直する俺。痛い、痛いよおっ!

 チクッ。

ぎょえええっ、神経に触った、殺す気かあっ! そんな「この世の終わりか」という激痛に耐えて患部が削り取られ、シコシコと詰め物をして治療はオシマイ。最後に「口の中を洗え」とブクブクする水のヌルくてマズいこと! とにかく歯医者はイヤだった。本当にイヤだった。

だが当時の詰め物は、ガムや飴玉を食べるとひっつき「ガポッ」とよく取れた。両親はその度「なぜ食べる?」と激怒していたが、俺は構わずガムを食べては、ひっつかせていた。
そんな俺に業を煮やしてヒロミゴー、ついに我が家では「ガム、飴、チョコ禁止令」が出てしまった! 虫歯の原因となるチョコもダメ、ポッキーもマーブルチョコもすべて禁止!

そのタイミングで我が家に「明治ミルクチョコ25枚詰め合わせ」というお中元が届いた(どういう中元だ)。黄色にシマ模様の包み紙のミルクチョコが箱にズラリ! 1枚くらい食べられるかと思ったら甘かった(チョコだけに)。ご近所に配ってハイおしまい。ああっ!

そんなある日、遠足に行き、同じクラスのT田君が「ガム食べる?」と1枚くれた。ガム! その名前すらも忘れかけていたガムが今、俺の手の中に!
オレンジ色のガムを口に放り込み、噛む、噛む。口の中に広がる人工フルーツ味。そしてクチャクチャ噛むほどに、ガムが粘り始める。久しぶりの食感!
結局俺は一日中、ガムが小石のようになるまで噛み続けた。幸い詰め物も取れず、歯医者人生も卒業と思ったら――。

オマケ。俺はその後、奥歯の親知らずが痛いなと思いつつ放置していた。中学高校大学を経て、社会人になるまで!
だがある日、激痛が襲ってきた。勤める会社の中に歯科があり「医者が軍医あがりで乱暴」と噂を聞いたが、激痛に耐えられず俺はその歯科に行った。

「歯茎に歯が埋まってる。砕かないと取れないな」

医者の手にノミと……トンカチ? 怯える俺に構わず、医者は俺の親知らずにノミを当てると、トンカチを振り下ろした!
ガコン! イスからズリ落ちるほどの衝撃! その時は麻酔が効いていて痛みはなく、砕いた歯を取り出し歯茎を縫って治療終了。だが麻酔が切れると、人生最悪の激痛が襲ってきた!
ジン、ジン、ジン! 数秒おきに襲ってくる激痛に「ぐおぉぉっ!」とノタうち回り、そのまま2日間一睡もできず、口が開けられなくて歯の隙間からプリンを食べ、瀕死の状態で生き延びた。人生52年、あれほどの生き地獄はほかに記憶がない。

今の歯科治療はそんなに痛くないし、歯科技師はお姉さんが多いし、夢のような時代になった。白い歯っていいねホワイト&ホワイト的に。みんなも歯ぁ磨けよ、宿題やれよ! また来週、じゃなくてまた次号!

文:カベルナリア吉田

【「昭和40年男」vol.51(2018年10月号)掲載】

昭和40年生まれの紀行ライター。普段は全国を旅して紀行文を書いている。この1月に新刊『ビジホの朝メシを語れるほど食べてみた』(ユサブル)出版したからヨロシク! 去年出した『おとなの「ひとり休日」行動計画』(WAVE出版)、『突撃! 島酒場』(イカロス出版)、『何度行っても変わらない沖縄』(林檎プロモーション)、『狙われた島』(アルファベータブックス)全部ヨロシク!

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