JRと地デジと原発。

今朝の通勤時はJRの京浜東北線が止まっていたので、遠回りして東急からメトロ乗り入れの線で出社した。15分ほどのロスで済んだのは助かったよ。いつもの京浜東北線とは明らかに異なる客席の雰囲気は新鮮で、しばらくキョロキョロと眺めていた。ほとんどがオフィスへと向かう人だと感じさせる。なぜかJRは子供連れがいたりお年寄りが多かったり、朝っぱらから生活移動を感じさせるが、今日のルート上は圧倒的に企業戦士比率が高い。ちょっぴりうれしかったのが、新聞や雑誌、書籍を広げている率が高いこと。久しぶりに“紙”の高需要を見られてご機嫌になっちまった。これね、単純に電波が入らないから。当たり前だが、JRはスイスイで、ボク自身も去年に引っ越してから雑誌の購買点数が減ってしまったほどだ。未来永劫、地下鉄は携帯がつながりにくいといいな(笑)。

メディアとの接触はこうした環境によって大きな差異が生じる。たとえば、ひとりに一台車が必要な地域では、新聞は家にいる間にキッチリ目を通さなければならない。さらにラジオも情報源だったりするのだろうから、影響力は大きくなるのは当然のことである。

もはや過去の産物と呼ばざるをえないデータではあるが、視聴率を見ると日曜日の番組が圧倒的に強い。週に一度の家族団欒が、減少傾向であるものの残っていること。普段テレビを見られないお父さんたちが押し上げているのだろう。“笑点”が安定して強いというは、昭和40年男にとってホッとする事実ではないだろうか? かつての月9はもう神通力はなく、数字を取りやすいのは日曜日の夕方から夜10時くらいまで。そしてこれも激変を予想させる会話を、つい先日聞いた。「あーあ、後2ヶ月でテレビのない生活か」。「まいったよなぁ」。「次から次へとなんで金のかかることばかりするのかねえ、お上は」。「新しいのを買う金なんかねえよなあ」。いつもの立ち食いそば屋のカウンター内でのやりとりである。

これからもメディアを巡る環境変化はガタガタと起こるのは当然のことだ。そこの根幹にあるモノは生活の利便性の追求であり、そこから生じるライフスタイルの変化である。あれれ、なんだか原発の推進vs不要論に近づいていくなあ。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で