昭和遺産となっていく地下商店街!?

コマツビルこのブログで大好評(!?)の、昭和な〇〇を探せで、先々月の今日に溜池山王の交差点近くで見つけた最高の茶店を紹介した。ジャーン、このビルの地下にある。そして聞けばこの茶店、評判のお店らしいとの話を昭和通な方より聞いた。やはり名店だったのだ。

実はこのビルの地下街には好きな蕎麦屋があって、かつてはちょくちょく世話になっていた。その頃にこの茶店に興味が湧かなかったのは、まだ『昭和40年男』を立ち上げる前のナウでヤングな僕だったからだ。いわゆる普通のそば屋ながら、冷たいとろろそばがうまかった。とろろとだし汁をミキサーにかけて、たっぷりのもみ海苔をかけて出す。いわゆるとろろ汁というやつで、この一手間によってグーンとうまくなる。

話は脱線する。幼少の頃の我が家では、土曜の半ドンメニューにとろろ飯があった。でっかいすり鉢で家族が交代でとろろをする。こんな作業が楽しいと思えたのは昭和ならではだな。「よーくすればするほどうまくなる」との親父の言葉に健気に応える僕ら兄弟がいた。「疲れた、兄ちゃん交代」「はいよっ」てな具合だ。事前にこしらえて冷ましてある出汁を少しずつ加えてはまたする。完成まで20〜30分奮闘して、炊きたての麦飯にぶっかけて食うのだ。このうまいこと。土曜の半ドンはカレーや近所の肉屋で買ってくるメンチとコロッケ、我が家ではメンコロと呼んでいたメニューが多かったところに、ごくたまにとろろ飯が登場する。これはイベントであり、楽しい土曜日メニューだった。と、そんなことを必ず思い出させてくれたミキサーでのかく拌作戦だった。会社が赤坂から浜松町に引っ越して、しばらく行かないうちになくなっていた。そば屋だけじゃない。いくつもあった飲食店はほとんどがなくなっていて寂しい限りだ。ビルの地下商店街は昭和遺産となりつつあるのだろうか。

そうそう、このビルの向かいには俺たちの青春を彩った東芝EMIのビルがあった。多くのビックなミュージシャンたちや海外の大物も使ったスタジオがあったビルで、誇らしげにブランドの看板を掲げていたのだが今は跡形もない。コマツビルの地下街同様の寂しさを感じてしまう僕だ。と、そんなセンチメンタルジャーニーになってしまう溜池山王の交差点である。

さあ、答えを明かしたぞ。前回書いたこれを読めばきっと行きたくなるはずだ。って、僕も昭和40年男仲間を誘って出かけることにしようと思っている。かつてとろろで世話になったそば屋のように突然なくなってしまう可能性がないわけじゃない。次の『浅草秘密基地』で画策することにしようかな。

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2件のコメント

  1. メンコロ、、、懐かしい響きですね。
    浅草橋に勤めていたころに通った定食屋にあったメニューです。
    あと、メンシュー、コロシュー、とか。
    ※シューはシューマイの略。

    今も健在か、チェックしておくので、
    今度、ゼヒ!

    • おおっ、メンコロは共通言語だったのですね。感激。

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