キャンディーズ vs 沢田研二

次号、5月11日号での連載特集 “夢、あふれていた俺たちの時代”では、昭和52年を
特集する。40年早生まれの人で中1、それ以外のタメ年たちは小6のころだ。長い小
学校生活でもっともお兄さんな存在は、なかなか居心地がよかった思い出がある。こ
の時の担任である藤田先生は僕にとってとても大きな存在だった。今思えばずいぶん
と認めてくれていたというか、その上で大きくしてくれた。授業と関係のない難しい課
題を投げかけてきてくれ、熟考することを教えてくれた。グーで殴られたこともあった。
レスリングで国体に出た人だから、もちろん本気ではなかったけどすげー痛かったな。
原因は女の子をいじめたというかバカにしたというか「お前はそんな男だったのかー」
と、目を真っ赤にしてぶん殴られた。頬も痛かったけど、藤田先生がそれだけ叱るよう
なことをした馬鹿な自分が痛かったのをハッキリと思い出す。この先生の影響で、中
学時代は教師になることを目指し、おかげでそこそこの成績をほこる中学時代を送れ
たのかもしれない。

なんて思い出を掘り起こしたところで仕方がない。いろいろと掘り返してみたところ、
この年は何はなくとも歌謡曲だったことを思い出した。FMどころかAMやテレビ放送
までもカセットに録音して何度も何度も繰り返し聞いていた。女の子はベイ・シティ・
ローラーズなんかを聞き始めている感度のいい子や、KISSを聴くやはり早熟なボー
イズもいたが、僕にとっては歌謡曲がかなり高い関心ごとだったことを思い出した。
ザ・ベストテンに代表される歌番組からは、アイドルたちのヒット曲が次々と流れてき
て、そこに割って入るようにミュージシャンみたいな感じの方々が登場してきた時代
である。カワイイ顔だけど原田真二さんはチョット違っていたし、世良公則&ツイストな
んかも出てきた。なんだかそれまでのアイドル全盛とは少し異質な感じを覚えた。ダ
ウン・タウン・ブギウギ・バンドが“サクセス”なんてカッチョいいのをヒットさせたことも
なんとなくそれまでとは違う曲に思えた。それでもやっぱり1番はキャンディーズと
沢田研二さんである。

キャンディーズの昭和52年といえば解散宣言である。その後になり出す曲がだんだ
んとチャートを上り詰める様は、子供心に解散がもたらしたマジックに感じ、応援する
気持ちを強く押したものだ。一方で沢田研二さんはこの年『勝手にしやがれ』だよ。
もう何度聞いてもカッコいいなと今も続く親友と興奮気味に名曲だと語り合っていた
なあ。森田公一とトップギャランの『青春時代』とか松崎しげるさんの『愛のメモリー』、
もちろんピンクレディーも全盛期であり、この年のレコード大賞はハラハラしながら見
ていた。結局『津軽海峡冬景色』が受賞するという、歌謡曲史上もっとも熾烈な争い
だったのではないだろうか。その後の音楽シーンはドンドンと細分化していき、やが
て家族が一緒に過ごすお茶の間はなくなり今に至るという意味でも、歌謡曲がその
人気と影響力ではピークとなった年かもしれない。そのくらい充実していたこの時代、
特集でも音楽企画満載でお送りしますから乞うご期待だ。みなさんの思い出も聞か
せてくださいね。

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