立川談笑さんにインタビュー。

花粉飛びまくりで、鼻が詰まりまくりの毎日だったが、今日は雨のせいかややラクな
感じで、ほっと一息というところである。原発は予断を許さない状況が続いている。
今日も放射線量の急上昇が観測されていて、本当にどうなってしまうのか、不安は
つきない。ただ、そう思う一方で、なんだかそうした状況に慣れてしまってきている
自分がいて、ちょっと怖い。当事者感覚が薄れ始めているとでも言えばいいのか。
テレビやネットの向こう側で起きているように感じてしまう瞬間があるのだ。先日の
大きな余震はそれを吹き飛ばしたが、今後も被災地と原発の動向には当事者感覚
で注視していかねばならない。

さて、次号の『昭和40年男』の製作は佳境に入っているなか、昭和40年生まれの
落語家である立川談笑さんへのインタビューを敢行した。本誌でもおなじみの
立川談慶さんと同じ落語立川流ということで、ご紹介いただいて取材が実現した
というわけだ。以前に談慶さんにインタビューさせていただいたということもあり、
少しは落語の面白さもわかってきたものの、相手は立川流四天王のひとりという
超大物。落語初心者としては大変に緊張しながらの取材と相成った。

事前にCDや映像で見たり、立川一門会に足を運んで実際の談笑さんの高座を拝見
したのだが、大変にわかりやすく、初心者でも十分に楽しめる。それは、古典と
して受け継がれてきたものを、現代人の肌感覚にあうように“改作”されている
から。伝統的な古典落語が最善であるという、改作に対しての批判の声もあるなか
で、改作にもっとも積極的にアプローチしているのが立川談笑さんなのだ。
古い物を壊し、新しい落語の世界を創造する落語家たちのなかでも、急先鋒的な
存在なのである。落語立川流といえば落語界の異端児的存在だが、そのなかでも
もっとも異端、まさに異端児中の異端児といえよう。

なぜそのような落語に取り組むようになったのか、どのようなバックボーンから
今の談笑さんがあるのか、うまく聞き出せるかどうかが今回のインタビューのキモ
になるであろうと、事前にいろいろと準備はしたのだけれど、取材現場に現れた
ご本人を前に急激に高まる緊張。はっきりいってヤバイぞこれは…というレベル。
そうとはバレないようにと取材を開始したものの、心臓はバクバクでなんだかうまく
話せない。どこかふわふわとして、しゃべっている自分が自分でないような感覚
である。

そんな緊張する僕の様子を察したのか、開口一番「落語なんてマイナーな芸能なん
ですから、知られてなくて当たり前ですから。気にしないでなんでも聞いてください」
とおっしゃってくださった談笑さん。この言葉でなんとか自分を取り戻して取材を
スタートすることができた。始めて見るとさすが噺家、話の内容がいちいち面白い
こと、面白いこと。爆笑のなかで緊張もすっかりほどけ、落語への想いや、修行時代の
苦労、どんなバックボーンから今の談笑さんができあがったのかを伺うことができた。
もちろん、完全に聞き手の手腕でなく、話し手のウマさのせいだが、2時間にも及ぶ
ロングインタビューに最後まで真剣にお付き合いいただいた。

談笑さんはマイナーとおっしゃったが、落語家はたった一人で大勢の観客を相手に、
話術だけを武器に身体ひとつで笑いをとる、孤高のエンターテイナーだと思う。
そのなかでも間違いなく超一流の一人に、一対一で話を聞くという、非常に貴重な
体験をさせてもらった。あとはこの記事をどうまとめるか。落語ファンはもちろん、
そうでない読者のみなさんにも彼のすごさが伝わる記事にしたいと思う。乞うご期待!

◆副編集長:小笠原
北海道生まれの36歳。最近、健康診断でメタボ非該当と診断されて一安心しているメタボ予備軍。

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