『昭和40年男』第6号編集終了。

ついさっき、編集部の作業はすべて手を離れた。最後の原稿である編集後記を
書き上げたのが17時31分だった。雑誌づくりの最終段階に入ると、文字のチェックと
訂正の文章のライティング、タイトルやデザインを再考や確認などなど、ありとあらゆる
作業が洪水のように押し寄せる。次々と処理しながらも、自分の原稿はやはり
かわいいものだから、えこひいきはにはならない範囲で手を加えていく。それらの
メドがほぼついてから、編集後記を書くようにしている。前号から意識しているのだが、
これまでの本づくりでは作業の途中で書いていた。まだまだ作業が続く、明日いっぱい
続くというタイミングで書くこともあったが、年末に年賀状を書くようなもので、いや、
もっといい加減なものでであり“後記”にこだわる必要はまったくないのである。
だがその前提がありながらも今回最後まで引っ張ったのは、もしそういう空気というか、
においが出たらおもしろいかなと思ったから。まあ、マスターベーションです。
今はこれを書きながら、最終的に印刷屋さんに渡すために戦っている連中の作業を
見守っている。たくさんの下手をうち、いろんな方々に迷惑をかけて、なんて俺って
ダメなんだろうと思ったりしながら迎えた今だ。何度こなしてもパーフェクトな仕事に
ならない自分を反省している静かな夜だ。

反対に、ああ気持ちよかったと思う自分がいる。いままで経験したことにないことが
できたとか、知らなかったことを少しだけ理解できたとか。これってもちろん仕事
じゃなくても日々努力していかなければならないことだけど、仕事ってすげーなと
思うのは努力することや工夫することがマストになっていること。僕は強い人間
じゃないから、プライベートでここまで追い込むことはできない。大好きな酒が
呑めなくて、1日3時間の睡眠を来る日も来る日も繰り返して、残りの21時間を
ほとんど仕事に使って。たとえばそこまでしてフルマラソンに打ち込むことは
できないもの。大好きだけど、その10分の1の努力もできないから。だから遅いっす。
同じ土俵に上げることがナンセンスなのですが、やっぱり仕事の領域ってあるんだな。

ただ、こんな気力でものをつくることを続けていくことが、自分であるわけだから
これってもうプライベートとか仕事とかって話でもないね。全部自分なんだね。
昨日も書いたけど、僕は50歳までこのまま突っ走っていこうと決めたんです。
物事にはレベルってヤツがあって、まだまだ僕のそれを上げたい。できれば
自分が思い描いているところよりも高いところへいきたい。それにはやっぱり
限界のモノを出し続けていくことしかない。能力のない僕にとっての限界を
極めていくということしかない。決して自分を蔑んでいるわけじゃなく、相当の
努力をしないと自分の描いているところまでいけないとやっとわかってきた。
描いているところが能力に対して高すぎるという無謀なだけかもしれないけど、
描いた以上行けないということは自分に対して失礼だなって思うようになった。
ひとまずその期限を50歳までとしたのは、ほらね、弱い人間だから〆切を
設定しないと踏ん張らないから。あとたったの4年と5ヶ月足らずしかない。
創りたいぞーと、極限の疲れの中でそう思えるバカですが、今日のところは
ゆっくり寝ます。

みなさん、11日に誌面でお会いしましょうね。って、明日もこのコーナーで
会うじゃん。

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