50歳直前でも答えが出せない最後の晩餐。

マグロごく稀に、我が家の食卓に極上のマグロが登場するときがある。コイツはスーパーの鮮魚売り場で見つけたもので、我が家の食卓史上最高のうまさだった。国産、本マグロ、赤身、そしてなんと生だ。決してお安くはなかったが、お正月前の養殖本マグロよりはグーンと安かった。こうしたいいマグロと食卓で出会うと「寿司屋みたいだーっ」と喜ぶ僕だ。

夏はマグロの味が落ちる。魚ってのは旬があるものだから仕方なく、それも含めていただくのが正しい姿勢だと常々思う。ちなみに初鰹なんてのは脂がのっていなくてよく、むしろバッサバッサで香りを楽しめればいい。先日もある店で「最近、こういった初鰹は少ないんですよ」と出してもらったバッサバッサのうまいこと。店主のおっしゃるとおり今年は出会えることが少ない、僕がいつも求めている初鰹だった。夏マグロも同じく、脂のノリはやや悪くても、香りと深みがあればバッチリである。盛られたのを見ただけですでに「寿司屋みたいだーっ」と叫んだ僕は、口に運んで狂喜乱舞となった。やはり僕にとっては、マグロの赤身の刺身が最後の晩餐メニューだと確信したのだった。

「いやいや、ちょっと待て」と、マグロに夢中になっているってのに豆腐好きの僕が語りかけてくる。
「人生最後に味わうとしたら湯豆腐じゃないのか?」
鰹節とネギと醤油。シンプルこの上ない味でいただく、昆布ダシの中を泳いだ木綿豆腐のうまさを思い出してしまった。これほどの極上マグロをいただきながら、しかもこのクソ暑い季節に湯豆腐が脳裏に浮かぶのだから、かなりひどいジャンキーである。冬の湯豆腐とマグロは、寒さが深まる度に自分の中で争うように主張が大きくなる。僕にとっての永遠のライバルは、いつかその決着をつくのだろうか?うまいマグロに出会いながらこの季節外れに戦わせている、つくづくバカモノである(笑)。

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2件のコメント

  1. 瀬戸内海の田舎町で育った私としては、現在の魚介類、刺身の高騰価格には残念としか思えない。
    小中学の頃など、近所の魚屋で二千円も出せば超大盛りのハマチの刺身が買えたもんです。
    タコの刺身もたくさん買えた。
    そんな中、私の魚介類での最期の晩餐は、塩茹でシャコエビ。
    これをザルいっぱいを一心不乱に喰う。
    小学生のときの思い出であり、いま無性にやりたいことでもあり。
    ( ̄^ ̄)ゞ

    • 瀬戸内のタコは高級品になってしまいましたね。確かに高騰しています。
      塩茹でのシャコエビですか。15年前ほどに1度、四日市の居酒屋でお目にかかりました。山盛りの茹でたてが出てきて、はさみを渡されて、食べ方を教わりました。うまかったなあ。江戸前のシャコは少し以前まで全国に誇れるものだったのですが、最近は激減しているようです。ザルいっぱいなんてどんだけの値がつくでしょう。

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