続・みんな集まれ〜。

さあ、あと一週間に迫ったね。
なにがって? チャレンジの参加応募しめきりじゃー。
って、昨日と同じ書き出しでお送りしてますが、もうホントに決心のときだよ。

僕がフルマラソンを始めたのは、弟が走ると言い出したことがキッカケだ。
「えっ、ウソだろ、42.195kmも走るのなんて無理に決まっているでしょ、冗談もほどほどにしなさいよ」
というくらいフルは遠い存在だった。
今でこそ市民ランナーなんて言葉が一般的になり、東京マラソンをキッカケに空前のランニングブームとなっているが
20年前に僕がそう感じたのは普通の感覚だったと思う。
どうやら本当に走るとのことで、ならばその偉業を一目見たいと会場で弟のゴールを待った。
冬の会場でまだ小さかった息子と一緒にだ。
3時間を超えると数多くのランナーがゴールに飛び込んでくる。
そこには中年の女性やもう高齢といっていいだろうランナーも混じっているのだ。
すげーっ、でもみんなうれしそうだ。
息子が「来た」と声を上げ、フラフラになった弟が入ってきた。
約3時間半かかってのゴールに偉く感動するとともに、よーし、いっちょやったるかとなった。
これが僕のいい部分でもあり、失敗することもよくあるのだが
いろんな物事が自分にもきっとできるとカンタンに思い込んでしまう。
そして翌年、エントリーしたのだった。

たくさん走り込んでのぞむのだと、エントリー時こそ希望とやる気に燃えたものの
コツコツと練習を積み重ねるタイプでないことは、8月31日に毎年後悔していた小学生の自分そのまんま。
靴下にお金とタバコを突っ込んでスタートラインに立った。
ちょっぴり余裕があったのは、バスが巡回していていつでもリタイアできると聞いていたからだ。
思ったよりきつくないなと距離を重ねていったが、ガクンときたのは30kmを超えたあたりだった。
足のスジというスジがワイヤーのように突っ張ってしまい、もうどうにもならない状態でついに立ち止まってしまった。
一度止まるともう走れない、そう聞いていたのだが、まさにその通りで
少し歩いて走り出すといろんなところがつってしまう。
止まってスジを伸ばして歩いてちょっと走ってまた止まるを繰り返し、
やっとゴールできたのは4時間39分というタイムだった。
散々な状態とタイムではあるものの、ゴールをくぐるときの感動ったら
それまでの人生で感じたことのない類のものだった。
それ以来、その感動は毎年変わることなく自分を高いところへ連れて行ってくれる。
何回走っても感動は小さくならないのだよ。
これを知らなかったら僕の人生はどうなっていたことやら。

もしかしたら病気になっていたかもしれない。
だってねえ、生活のリズムは不規則極まりないうえ
ストレスのバーゲンセールみたいな仕事で、暴飲暴食が大好きときた。
事実、2〜3年ほどエントリーしなかった時期は、今より15kg以上体重が重かった。
もう一度あの感動をと復帰を境に少しずつしぼり、今では高校時代の3〜4kg増で維持できている。
これは、年に一回走るから体重は増やせないとの意識によるものだ。
自分の体をものすごくシンプルに極限に追い込んだときの心の動きがね、これもおもしろいのですよ。
ああ、人間て気持ちで動いているのだなと。
苦しい波が何度も押し寄せてくるのを逃がすのは、メンタルなんですよ。
それを強く感じることができるのがマラソンという名の旅なのですよ。
すごくいいチャレンジであり、ぜひともその感動を味わっていただきたいので、ぜひご参加ください。
2011年1月30日はあなたの人生が激変するチャンスです。
45歳、覚悟を決めなさい(笑)。

もう一つのチャレンジはみんなで共通の目標へ走るというチャリンコレースだ。
こちらはみんなで思いっきり笑い合いたい、喜びを共有したいというものだ。
こちらもぜひふるってご参加いただきたい。

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