レッド・ツェッペリン、クイーン、ポリス、そしてザ・バンドに共通するのは?

昨日レポートしたとおり、ビルボード東京にガース・ハドソンのライブを観にいった。76歳になった爺さんの演奏のスゴさに感心すると同時に、つくづくザ・バンドはスゴイ集団だったなと再認識したのだった。そのままこのタイトルへと繋がっていったのだ。

ザ・バンドのスゴさの要因の1つは、デビューから解散までメンバーチェンジしなかったことが挙げられる。そう、タイトルのアンサーは、これらの偉大なバンドたちはオリジナルメンバーでの活動を貫いた連中で、互いが刺激しあい、精神的に支えあって成長したバンドたちだ。この他にも偉大なるビートルズをはじめいくつも存在するが、とくに僕がハマったバンドたちということでこの4つがあり、極端な2系列の解散劇があるのがおもしろい。

クイーン:イニュエンドウツェッペリンとクイーンは、メンバーの死によって存続の意味を失い活動に幕を閉じている。ツェッペリンの驚愕のうねりを持つリズムは、ドラマーのジョン・ポーナムによるところが大きく、クイーンサウンドはボーカルのフレディ・マーキュリー無くしてはまったくの別物になる。代わりのいないメンバーの死によって引き裂かれたバンドなのだ。誰とはいわないが、双方ともになんとか代わりを見つけられるメンバーはいるとは考えられるが、でもおそらくツェッペリンもクイーンもメンバーを欠いたら解散を選んだだろう。ガッチリと互いがハマった4ピースであり、双方の大きな共通点である。

ザ・バンド:南十字星一方、バンド系ミュージシャンで、僕への影響度がもっとも大きなポリスとザ・バンドの解散も酷似している。双方ともに天才と呼べる若者が、加入時には末っ子的な存在だったことだ。その天才とはスティングとロビー・ロバートソンで、音楽に対してストイックな感じは2人ともよく似ている。スティングが参加したポリスは、デビュー当時は3人の中ではもっとも知名度のない存在だった。だが、ドンドンと力を付けていき、結果的には天才ドラマーのスチュワート・コープラントと不仲になってしまう。まとめ役の兄さん、ギターリストのアンディ・サマーズの手にも負えなくなっていき、残念な結果になってしまうのだ。ザ・バンドのロビーに至っては、参加時はベーシストだったのがギターに転向するやメキメキ腕を上げ、やがてボブ・ディランを唸らせて全幅の信頼を得るほどになっていき(当初はスペシャルなバックバンドだった)、ソングライティングでもレベルが向上していく。存在感が大きくなるにつれ、悪く言えばザ・バンドを私物化していった。事実上の最終スタジオ盤『南十字星』は傑作でありながら、ロビーのソロアルバムと呼んでもおかしくない仕上がりで、解散が決定的になった。

天才に協調性なんかいらないとでも聞こえてきそうな、バンド後期だった。もしかしたら、本来バンドでやるべきミュージシャンでなかった2人なのかもしれない。かといって、それぞれにとってバンド活動時代が無かったらその才能が開花しただろうか。おそらくNOだ。切磋琢磨を、同じ人間たちと長い時間過ごすことで深さが出る。その深さがまた実力を上げてくれる。それはビートルズにおけるポール・マッカートニーもそうだろう。ジョンやビートルズという存在によってより高みへと登り詰めていったことで、ビートルズは活動を共にできなくなってしまった。避けられない解散だったのは、ポリス、ザ・バンドと同様なのだろう。と、そんなことを考えさせられた、ガース・ハドソンのライブを見終えた夜だった。

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