母親とのくすぐったい時間。

浅草で呑みすぎてしまい、久しぶりに荒川区の実家に泊まった。親不孝なことに、お袋をたった1人にしてしまっている。というのも、仕事を続けているから実家を引き上げるのは本人が首を縦に振らず、同居話を持ち出すといつもはぐらかすのだ。まあ、そのくらいの元気があるのは幸せなことである。

親の問題が多くのタメ年たちに立ちふさがっている。僕は女房方の母親も実家に残しているから、今後2人の母親の老いと対峙していく。悩みが増えていくだろうことは間違いなく、これはほとんどのタメ年男たちにとって今後共通する悩みだろう。事実『昭和40年男』の集いではチョクチョク話題にのぼり、みんなで真剣に話し合う議題であり、いつか特集を組めたらと考えている。

さてさて、話を元に戻させていただく。呑みすぎて布団に入ったのは4時で、すでにスズメが鳴き始めていた。出社ギリギリまで寝ていたいもののそうは問屋が卸さない。元気に朝食を食う姿を見せることはせめてもの親孝行だと強く自分に言い聞かせながら、7時に目覚ましをセットした。けたたましく鳴り響くベルに起こされ、家族4人が何年も過ごした居間へと行くと食卓には朝とは思えない品々が並んでいた。ついさっきまで呑んでいた胃に入れるには、かなり激しいメニューであるが「ちょっと夕べ呑みすぎた」と一応の言い訳をして箸を取った。

タマネギを一個を切って入れてあるという自慢の大盛りツナサラダがドーン。常人ならこれだけで十分である。「母さんね、タマネギを毎日一個食べてるの」と、体にいいことをアピールしながら僕に勧める。そしてその横には串カツと鯵フライ。さらには豚の角煮と北村家には朝だから重いものは避けるという概念はない。だがそれにしても凄まじい。加えてモズク酢と漬け物、みそ汁に山盛りご飯を前にして、昨日の酒を後悔しながら「いただきます」と、元気に串カツからいった僕だ。しかしすべてを平らげることはできず、詫びながらお茶をすすった。

「あんた髪の毛薄くなったわね」
「もう今年48だからな」
「仕事は順調なの。今回のプロレスのやつは売れてないんじゃないの」
「絶好調だよ」
「そう、ブッチャーは心配だったのよ」
「大丈夫だよ」
「もうすこしピシッとした髪型にしなさいよ。まさかまだ自分で切ってるの」
(ギクっ)
「ああ、ちょっと伸びちゃってるよな。〆切過ぎたら床屋に行くよ(嘘、セルフで切ります)」

とまあ、母親っちゅうのはいつまで経っても息子が心配なのは古今東西変わらないのだろう。ただ前述のとおり、最近同世代の連中から親の悩みを聞くことが多いからだろう、こんな会話やくすぐったい時間を大切にしようとする自分がいる。それと、久しぶりに息子と話す時間がきっとうれしいのだろう。やけに声が弾んでいた。もう30分ほど早起きしてやればよかったと後悔したのだった。
「また近々ゆっくり来るよ。おかず残しちゃってごめん」と家を出て、会社へと向かった。怒濤のスタミナ朝食のおかげで、寝不足なんかぶっ飛ばしてバリバリと仕事に励むことができたのだった。

昭和の銀座
撮影日は定かでないが、品のいいお坊ちゃんが僕で、手を引いているのが若き日のお袋。銀座にはかつて路面電車が走っていたのだ

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1件のコメント

  1. 北村編集長、大阪ミナミ秘密基地お疲れ様でした。
    ミナミ秘密基地のDJ OGIさん先日わざわざDont Amswer Me曲名をコメントで知らせて頂いて
    有り難う御座いました。すぐにお礼のコメントを書きたかったのですが、現在自分でパソコンを
    所有していないので、この間の秘密基地で東京から参加していた高校の同級生のパソコンを介し
    てお礼を言わせて頂いています。(遠回り過ぎだろ)
    DJ OGIさんのお陰で何十年ぶりかでこの曲に又出会えたことに感謝しています。
    又、8月の秘密基地で素晴らしい選曲と楽しい司会を楽しみにしています。
    次回は是非三次会まで・・・・・。

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