POPCONのおもひで ~大編集後記。

 

毎日こうして最新号 (vol.76) のご紹介をしていると、発売からずいぶん時間が過ぎた気になるが、まだ1週間しか経っていない。てなわけで (どんな?) 今日も元気に 大編集後記をいってみよーっ!!

 

特集の第三章の中に「ミュージシャン誕生の道標」として、コンテストやオーディションといったニューミュージック誕生の現場を取り上げた。そう、ニューミュージックの名曲がコンテストから次々に生まれたのだ。とくに「POPCON」からのヒットは、俺たち世代の心に強く残っている名曲が多い。

 

予選を勝ち抜いたミュージシャンたちが一堂に会して戦う (!?) 決勝は、テレビで放送された。レコード大賞とは異なる、フレッシュな面々の賞レースを、ガキの頃夢中になって観た。後のヒット曲を探る審査員の気分で真剣に眺めていたのが、今考えれば笑ってしまうが本人は真剣そのものだった。それは、次々と登場するミュージシャンたちの熱がそうさせたのだ。このページの本文でも触れている、小坂明子の「あなた」が「POPCON」の存在感を一気に押し上げた気がする。子供心に、いい曲は売れることを知ったのだ。それまではアイドルたちがテレビで歌うお兄さんお姉さんだったのに、普通の女の子が歌ってもいいのだと証明したのが小坂さんだ。ニューミュージックの起点の一つと言ってもいいのではないだろうか。ストレートで物悲しい歌詞がググッと迫って来るのも、それまでのテレビミュージックとは違って受け止めた。

 

『昭和40年男』はだいぶ以前に『俺たち ポプコンエイジ。』という特集を組んだ (vol.34) ことがあり、世良公則さんを表紙に起用してお送りした。そう、世良公則&ツイストの「あんたのバラード」も POPCONの決勝で披露されて、僕はその放送を目撃した記憶がある。「これは売れる」と確信した (笑) 。ヤマハのサイトを見ると、1977年の秋だから小6でまだ洋楽に目覚めていなけりゃギターも手に入れていない。歌謡曲大好き少年でありながら、夢中になったのはやはりフレッシュなミュージシャンたちの “熱” によるものだろう。

 

やがてバンドを始めて、ヤマハ主催の「POPCON」と「EastWest」を常にターゲットして、予選に出場した。一度も決勝には行けなかったが、テープ審査を通った地区予選でベストヴォーカルを獲ったことがある。あのとてつもない嬉しさは今も忘れない。審査員コメントでは歌詞を褒めていただき、それをしっかりと表現できていたとおっしゃってもらったのだ。へへへ。そんな想い出をくれたヤマハさんへの感謝は、数々の名曲を世に出してくれたことと共に大きいなあ。と、人それぞれにおもひでを連れてくる最新号を、どうぞよろしく。
 

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