劣化する昭和40年男。

パスポートを取りに行ってきた。1999年に取得した10年パスポートが2009年に切れてしまい、この間海外に行けていないことになる。これは、2010年に『昭和40年男』を立ち上げたことが大きく起因しているだろう。が、ここにきて取りに行ったのは、やっとコロナが収束してきたところだから、あらためてバイク関係の仕事で海外を攻めたいからだ。

 

この写真に驚愕である。残念ながらどう見ても右の方がかっこいい。23年の激しい劣化である。シュッとしていて、ちょっぴり生意気な感じがよい。髪型は似ているものの、やっぱりふさふさ感が違う。ほうれい線がくっきりはっきりなのと、なんだか目と眉が垂れているし、唇も厚くなっている気がする。男は人生によって顔を作っていくのだと常々言い聞かせているが、こうして比べてしまうと、ち〜っともよくなっていないことが残念でならない。鋭さがなくなってしまっただけの、おっさんである。残念!!

 

そんな失意のどん底ながら、古いパスポートをパラパラとめくるとおもひでがどっちゃりある。初めて行った海外はハワイだった。当時はまだ出版社でなく、編集プロダクションとして出版社のためにバイク雑誌を作っていた。1996年に立ち上げた処女作では ’98年より編集長に就任して軌道に乗せた。’97年にリリースしたプロデュース2発目も絶好調で、この版元がと会社の相棒をハワイへと招待してくれたのだった、ラッキー。感動的に過ごしやすかったが、快適すぎて冒険心は満たされなかった。そしてこれが唯一の観光海外で、この後はすべて仕事での渡航になった。これもまたラッキーである。

 

2000年に出かけた中国の広州が二度目の海外で、ハワイとの差異のすごいのなんの。街の空気は黄色く澱んでいて、ホテルの水はシャワーを含み臭い。歯を磨くとオエッとなる程だった。だがバイクの見本市の取材では、その活気に驚かされた。あらゆる意味で安穏とした日本はまずいぞと刺激を受けて帰り、感じたままに日本はその後精彩を欠いている。あの日目撃した勢いは本物だったが、共産主義国家の危うさも感じて帰国できた22年前の経験は大きかった。以降、台湾が2回、中国上海、韓国、イタリアミラノとほとんどを一人で行った。受けた刺激の数々を思い起こしながら、このおっさん仕様になったパスポートでどんな刺激を受けていくのかが楽しみだ。次のパスポートでは鋭さを取り戻すべく、多くの危うい国に出かけたいと燃えているのさ。でもね、何度見てもこの劣化は残念である (泣) 。
 

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2件のコメント

  1. いやいや、刻苦勉励、男三十超えたなら深く刻んだシワもある(男と女-昭和編- より)。E.クラプトンや柳ジョージに寄ってきた感もあり、天命を知ったギターキッズの年輪としては良い傾向だと思いますよ!(^^)v

  2. いやいや、23年の風雪に耐え抜いた味のある男の顔つきになっていますぜ!

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