『北の国から』が日本の心を救う 〜大編集後記。

 

しつこい巳年は、今日も元気に最新号 (vol.71) の紹介となる大編集後記をつぶやかせていただく。このコーナーに付き合ってくださっている方は、ほぼ購入していると思うからPRとしてだけでなく、記事で取り上げたネタに対しての想いを共有したいとも考えているのが大編集後記なのだ。で、今日も昨日に引き続き、連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』でフォーカスした昭和56年から、不朽の名作『北の国から』についてつぶやこう。

 

♪あ〜あ〜♪とさだまさしさんの声が聞こえてくる。そして数々の挿入歌も実に印象深く鳴り響いていたのが、今回の記事を読んでそれもそのはずだとうなずいた。お話をうかがったのはディレクターを務めた杉田成道さんで、彼によると倉本 聰さんの脚本には間や音楽の入る位置までが指定されていたとのことだ、ふむふむ、納得じゃ。このドラマを観て倉本 聰さんにノックアウトされたで、テンポ自体はゆったりとした印象ながら1秒たりとも無駄にしていない濃密さにいつ見ても感心させられていた。これについても杉田さんより納得のアンサーがいただけているので、購入していない『北の国から』ファンの方々はぜひ読み込んでいただきたい。

 

北海道に初めて旅行で行った時、当然のごとく富良野を訪ねた。街で呑み屋に入ると、田中邦衛さんが演じた黒板五郎さんの話が多く聞けてうれしかったことが強く記憶されている。うーむ、また行きたいものだ。残念なことに去年五郎さんは亡くなってしまったが、これを受けて倉本さんは最終話を作ってくださるのではないかと期待している。

 

と、偉そうに語ったが16歳だった僕はリアルタイムで観ていない。ロッカーを目指してやさぐれながら生きていたアホに、雄大な北の大地も親子の絆も、ましてやさださんのあのメロディも受け入れられず、後に再放送で観て16歳の自分を責めた次第だ。きっとそんな同世代諸氏も多いのではないか。いや、そんなバカは僕くらいかな。

 

ただ、杉田さんによると最終話で初めて視聴率が20%の大台に乗ったとのことだから、リアルタイムでは爆発的とまでではなかったと言える。バブルへと向かっていく日本だったから、マッチングがよくなかったのではあるまいか。狂騒の時代が過ぎ、思い起こして語られたり再放送で触れられながら、日本人の心にとっての不朽の名作へと育っていったのかもしれない。これからも永遠にその価値や意味は育っていくように思う。デジタル社会に毒されてしまった現代日本にこそやはり必要なのだ。だから倉本 聰様お願い、1本作ってくだされ〜。杉田さんからも押してくだされ〜!!

 

p.s. 僕プロデュースのフォレスタ動画第4弾「スカイ・ハイ」を、ぜひご視聴あれ。
 


 

 

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