高崎 晃さんにノックアウトされた日 ~大編集後記。

今日も元気に最新号(vol.70) のご紹介つぶやき大編集後記だぞー。このつぶやきから何度も訴えてきたが、今回の特集はハードロックやヘヴィメタルに触れたことがある程度の方々にも刺さるように留意した。そのために、日本発のヘヴィメタルには触れなくてはならないと臨んだ。

 

あの日、腰を抜かすほどビックラこいた。やや曖昧ながら、日曜の夕方だったと記憶しているから『レッツゴーヤング』ではなかろうか、「赤頭巾ちゃん御用心」のレイジーが本格的なハードロックを披露したのだ。当時、日本の音楽は洋楽には叶わない。特にハードロックで太刀打ちなんて無理。と若気の至りな烙印を押していた。それがだ、アルバム『宇宙船地球号』に収められた「ドリーマー」を見て偏見を捨て去るとともに高崎 晃さんすげーとなり、しかも何であのアイドルがこんな変貌を遂げたのか意味がわからないうちにやがて解散したと聞き、本当に残念がった僕だった。アルバムのリリースが1980年の暮れだからその前後の放送というと、僕の人生で最もハードロック熱が高かった頃だ。そして高崎さんがラウドネスを引っさげて世界を席巻していったことは鼻高々だったが、その頃僕はハード熱がすっかり冷めてしまっていたから、ラウドネスにはほとんど馴染みがないのは申し訳ない話だ。

 

学校で『宇宙船地球号』を持っているヤツを探し出した。姉ちゃんがレイジージャンキーとの友人から借りて、テープに落としてすり切れるほど聴いた。名曲がズラリと並ぶ中でも、毎日ギターを弾いていた僕には「遥かなるマザーランド」が特に響いた。この曲がずいぶん長い時を経て、鈴鹿サーキットで行われる全日本ロードレースの表彰式で聴けたのには驚いた。仕掛けたのが知り合いの同世代と聞いて、ウンウンわかるよとシンパシーを得たのだった。

 

少し以前に、このアルバムを全曲演奏する配信ライブを観た。このページ写真のようにカッコよく年輪を重ねている高崎さんにしびれると同時に、ヴォーカルの影山ヒロノブさんの声が当時より格段とパワフルだったのがカッコよかった。お二人とも学年で5つ上の早生まれで、今年還暦イヤーである。ウンウン、まさに還暦上等のかっこいい兄貴たちである。
 

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