赤坂の寿司屋にて。

先日、値段をひとつも提示していない、上ランクの寿司屋にご招待いただいた。お相手は『昭和40年男』も見てくれている、少し歳上の仕事関係の方で、差しの一夜となった。よき酒は差しがいいね。大勢ならガハハと楽しく呑ればいいし、いずれにせよ酒を酌み交わすのはいいものである(笑)。

次号のモノ特集の話題となった。モノの進化において、我々は最も目覚ましい時代だったねと。そこから同世代特有の、世の中への憂いになっていく。
「そもそもCDなんてものすごく古いメディアじゃないですか。それがいまだ音楽ソフトの中心メディアになっていることが間違っている」
「もっといい音を求めなければいけない。最近、モバイルの音質が悪いと聞かない。これでいいのだといい音を求めなくなっている。CDが出たときに音の固さについて議論したじゃない」
こんな会話から始まって、延々と続いていった。レコード時代からCDへと変わり、とくにロック系の音づくりは大きく変わった。コンプでグシャっと潰して、全体の音圧を上げて仕上げるというやつだ。エッジの固さをごまかすのにも有効である。アナログ時代もコンプは使っていたが、CD時代に入り、パーソナルデジタルモバイルへと移り変わっていく中で、より顕著になっていった。そりゃそうだ。安っぽいイヤホンで垂れ流しに聴くなら、音にダイナミクスを付けたらなんだかよくわからないもの。CDよりもっと多くの情報量を記録できるメディアはたくさんできた。ならば音のエッジを限りなくアナログに近づける技術開発が進んでもいいはずだが、いい音を聴きたいというニーズがないから発展させる必要性がなく、相変わらずCDに依存してさらに配信向けの音づくりになっているのだ。山下達郎さんがその辺のことをラジオで語っていたが、それでもつくり手側は変化についていかなければならないといったまとめ方をしていた。さすが第一線にいる男である。

技術の中心が「スゴイ」だった時代から、便利とか合理性になってきている。多くの昭和40年男にとって残念だと感じる場面が多いのではないだろうか。今回の特集はそんな憂いをたくさん連れてくる。デジタル技術から生まれてくるモノは凄まじい発展がある。だが「スゴイ」というよりは、何かをのせていくハコであることであり、自分の中では属性として利便性の追求なのだととらえてしまう。

安さも重大なニーズであるから、そこに応えるかのごとくモノづくりにも注力していく。開発現場に合理性ばかりが求められた結果、今となっている。モノとはちょっと違うが、この日の舞台である寿司に話が流れていった。寿司は職人が握るものから、誰でも握れるものになった。回転を含めた、激安店の台頭である。大資本をバックに、大量仕入れによっていいネタを手に入れることは以前よりも容易にあり、この日の寿司屋よりもいいものが安く提供されるということもありえる時代になった。だが、寿司ってえのは握り飯に刺身を乗っけて出来上がりというものでは決してない。シャリとネタが高度にバランスされた、技術を要する料理なのである。驚いたことに、実習1ヶ月で寿司を握らせるというドキュメントをテレビで見たが、そんなものを寿司といって食っている子供たちの舌は、将来どうなってしまうのだろうか。ご主人はそんなことに文句を言うこともなく、ただ頷いていた。山下達郎さん同様、努力していることだけが真実なのだ。

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