実家がなくなる昭和40年男。

78歳になるお袋が、今住んでいる家を出されることになった。古い木造の4軒住める長屋で、のふるさとである。お袋が嫁いできたのが 昭和39年で、それ以前は祖母と親父の兄弟とが住んでいたそうだ。つうことは、北村家は60年以上ここの世話になってきたということだろう。親父は逝っちまっていて、きちんとした文献が残っておらず、こうした家族史が曖昧になっているのはまずい。今のうちに取り戻せるものは取り戻そうなんていつも思うのだが、なかなかこうした作業に対して動きが悪い僕だ。

さて、同世代諸氏のふるさと具合はいかがなものだろう。生家がまだ残っているという方は少数派ではなかろうか。僕の実家の近所を巡ると以前のままの表札は少ない。東京荒川区では実家を出てしまった者ばかりという感じだ。また、ふるさとに戻りたくても仕事や生活があり、そのうちに親が高齢を迎えて迎え入れるしかなく、結局生家を手放さねばならないといった選択を強いられたタメ年男たちは多いだろう。今まさにその選択の中で悩んでいたりといった同世代諸氏も多いはずだ。僕は今突然それを強いられたことになる。弟を含めてこれから家族での話し合いが増えることだろう。

電気屋を営んでいた家に愛着は強い。家が商売をやっているというのは、後の人生に強く影響した。そして狭い家で弟と共同の6部屋で過ごした日々も、当時はうざったかったが今考えるといい思い出だ。友人たちとお楽しみ会の練習をしたり、ギターを弾き込んだ日々だったり、ともかくこの家で僕は成長したんだな。もう間もなくここに里帰りできなくなり、きっと建て替えられてしまうのは寂しいったらない。

ただ唯一のお楽しみは残してある品々の回収だ。『ミュージック・ライフ』や『ギター・マガジン』がどさっとある。が、狭い今の我が家に置けそうになく、編集長に「いるか?」と聞いたら「もちろん」とのこと。どうやら編集部に寄贈することになりそうだ。
 

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4件のコメント

  1. 北村家に遊びに行ったときに当時はまだ珍しい電子レンジでお袋さんに作ってもらったスポンジケーキの味が今も忘れられず(^_^)v

    • ギバさん、メッセージありがとうございます。
      あの日過ごした時間がこうして繋がるのってつくづく時間が経ったのですね。小学校に通う鼻垂れ同士が、今じゃ50過ぎてすもの。スポンジケーキが記憶にあるのが嬉しいです。

  2. 僕は時々思います。実家をキレイに解体して、解体した柱から床板から全部持ってきて
    僕が住んでる町に復元して住みたいなぁ・・・って。
    土地は変わっても、家は元のまま・・・柱の傷から、天井のシミまで元のまま。
    そこで暮らせたらなぁって。実家に戻れば簡単なんだけど・・仕事もあるしね。
    ま、夢です。夢・・・。

    • ジョニー藤好さん、それいいですね。でも、夢です。夢。

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