地元の居酒屋からいつもの元気が消えた夜。

今の街に住み始めたのが2010年で、何軒かのなじみの呑み屋ができた。そのひとつに、カウンター数席と奥に小上がりが1つしかない沖縄料理をメインとした居酒屋があり、ここは僕の街をずっと明るく照らしてくれている。

沖縄出身の渋いご主人と笑い声の心地よい女将さんのご夫婦で切り盛りしていて、とにかく休まない。日曜どころかお正月も休まない。夕方5時に店が開き、深夜の街でコンビニ以外しまっていてもここは営業していて、日曜の深夜なんか誰が来るんだと思うが開いている。始発で会社に向かう時にまだ店内から笑い声が聞こえたりするタフな店だ。ああ、今日も頑張ってるんだとお2人のパワーにいつも感心させられながら、看板の灯りだけで元気になれるのだ。料金も良心的で、料理は若者好みではないかもしれないが僕にはよい。居心地最高のおっさんパラダイスだ。

が、しばらく暖簾をくぐることができなかった。いつも笑い声が漏れているから常連ばかりなのだろうと躊躇していたのだ。呑み屋の達人の僕でさえそうだったのが、ある晩遅くに誰もいない雰囲気が漂っていてイン。こんな行動も僕らしくないのは、それほどに笑い声の響いている日が多いのだ。それが昨日の晩、最終電車で自宅最寄りの駅に着き、いつもの帰り道を歩いていると看板が消えているじゃないか。以前、昼間につけっぱなしのことがあったが逆は初めてである。そして見つけたのがこの張り紙だ。

小さな光でもいつもそこにあることは、人に強い安心を与えてくれる。ましてやいつも笑い声が聞こえるのならなおさらだ。「何かあったのかな」と若干の心配をしてしまいながら、この張り紙の雰囲気の明るさだから大丈夫だろうが、逆にあのおかみさんはこんな気遣いをすると深読みしたりする。なんにせよ、いつもどおり元気という安心は自分の毎日にも同様だと言い聞かせ、おかげで今日はいつもに増してうるさい(笑)。

今夜はこの張り紙が外れて、笑い声が漏れていることを望みながらちょっと怖い。しばらく顔を出していなかったことを悔やんだりしている。

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