「死」について考える。

昭和40年男だったらいくつかの悲しい死に直面してきたことだろう。気が狂うほどの悲しみを味わった方も多いだろう。今回の特集を眺めていると自分の悲しみをついつい思い出してしまう。

細々とだが音楽活動をあきらめない、しつこい僕がその曲を書き上げたのはもう10年以上前のことだ。高2の時にバンドに入ってくれたギタリストで、20代後半に解散するまで一緒にプレイした。その後の僕は本格的な活動をするバンドを組まなかった。ヤツ以上にもつれて生きていくことは無理だと決めつけて、弾き語りや客演でのライブをまさしく細々と続けてきた。そんな活動の中でヤツのことを思い出しながら作った歌だ。

Hey相棒、調子はどうだ? 今でも吠えてるか?

あの日から別々の道俺たち歩いているんだな

Hey相棒、笑っているか? 汗かいているか?

あの日から会えない日々が随分と過ぎたな

 

なんて綴り、ヤツのことを思い出しながら弾き語りをしているともう一度ヤツとバンドをやりたい気持ちが強くなっていった。太ってしまったから戻さないとヤツとはロックできないとダイエットしている矢先、ヤツが首を吊ったとの報告が入った。38歳の春でもう13年になる。この曲がまるで追悼ソングになったようなタイミングであり、その死は今も未消化のままで僕にこびりついている。

親父と義理の親父が突然逝ったのは本当に悲しくつらかったが、変な言い方だが今となっては消化できている。大好きだったばあちゃんもだ。自ら命を絶ったこと。親父さんが発見したこと。そしていつも僕の横で燃えるようなギターを弾いていたことが重く強くのしかかっている。

今回の特集ではうつによる中年の自殺にもふれている。うつの症状を感じていなくとも、死んじまいたいほどの苦しみは同世代だったら一度や二度でないという者が多いだろう。いや、もしかしたらほとんどがそうかもしれない。でも思いとどまってほしい。残された者の苦しみなんか知ったこっちゃないだろうが、僕はその苦しみから逃れられない者として願いを込めてダメだと訴えたい。

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