ひと回り上の巳年親父の勝負。

IMG_3584馴染みの店やバーは、50年を過ぎた人生の成果のように感じる。かかりつけの医者は欲しくないが、顔見知りの店はあればあるほど豊かな時間が増える。通った数だけ自分をさらすわけだから、ある意味かかりつけの医者のような存在でもあるかな。『浅草秘密基地』の舞台となっているショットバーの『FIGARO』のマスターとははもう25年以上の付き合いになるから何もかもお見通しといった存在で、ちょっと落ち込んでいたりするとすぐに見破られてしまう。

かつて赤坂にオフィスがありずいぶんと世話になった料理人がいる。調理に対してとことん真面目な姿勢を貫く方で、10年以上通った。が、2012年に店をたたんでしまった。ハコが大きすぎて景気の後退に絶えきれなくなった。一旦は大型店に雇われることにするが、きっとまた店を出すと宣言していたひと回り上の巳年である。うれしいハガキが届いたのは去年の春のこと。新宿に出した店はその地で長年続けてきた、義兄弟夫妻が営むそば屋の改装を機にした合併だった。店名も赤坂での『五番館』とそば屋の『くろ田』ダブルネームである。メニューは双方のいいところが出ていてすこぶるいい構成で、親父さんの料理にそば好きを唸らせる品々が加わったことになる。

『五番館』は割烹を名乗っていた。看板はふぐとうなぎを武器としていたが、親父さんの料理はなんといっても出汁のうまさとそれを最大限引き出すシンプルな調理だ。親父さんが拵えるよりうまい茶碗蒸しを僕は知らない。また、素材に対しての愛情といえばいいのか煮魚や煮浸しなんかも絶品である。そして〆は難しい土地で長年供してきたそばが食える。浜松町からはやや行きづらい場所だが、すっかり馴染みの店になった。当初は、『くろ田』に居候のような立場でないかと心配したがこれはまったくの杞憂で、料理の数々は親父さんの味がしっかりと表現されている。

尊敬するのは60歳を過ぎて宣言どおりに新たな勝負に出たこと。しかも激戦地の新宿だ。イキイキと厨房で動き回る姿を見ているとうれしくなってくる。これまでも、そしてこれからも長く長くお付き合いしていきたい。それにはこっちも元気でなければならぬ。〆のそばをペロッと平らげなければここには来られないものな。

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