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DCブランドと赤いカード。

2011 年 3 月 8 日 プロデューサー コメント

発売直前のリラックスムードで開催された昨日の浅草秘密基地です。
締め切り直前の先週と比べるといやあ、余裕っすよ。たかが1週間、
されど1週間ですな。カーステレオや次回の編集部チャレンジの話で
盛り上がった夜でした。青森から初参加のOさん、寒い中のご参加、
ありがとうございました。

 

さて、最新号が書店に並ぶまであと3日となった。昨日に引き続き今日も
次号のピーアールをさせてもらいましょう。連載特集である“夢、あふれて
いた俺たちの時代”では昭和60年を特集した。20歳ですな、青春ですな。
バブル前夜の勢いが思い起こされる制作現場であった。今回深く掘り下げて
みたのが、まずDCブランドブームだ。4ページも作った。僕はブルースに
ドップリだったので、騒ぎにはほとんど参加していないですけど、仲間が
10万だ15万だのスーツを買って普段の遊びで着ているのはなんとも
信じがたかった。そんな僕も成人式用のスーツだけはDCものを買った。
そして僕らの味方が、ジャーン、丸井の赤いカードだったね。あのカードが
なかったらDCブランドブームはなかったかもしれない。魔法のごとき
カードからくり出されるローン地獄はそのままバイトの時間を増やした。後先
考えないでとにかく買う。買ってから年月をかけて返すという、現在僕らを
苦しめているサブプライムローンの火種は、元はといえば赤いカードのせい
だ(馬鹿)。しかもあのカード金まで借りられるのだからたまったもんじゃない。
多くの若者が破綻寸前になり、より高利の街金に手を出して自滅していった。
すべての元凶は赤いカードなのじゃー。

 

まあまあ落ち着いて。でもあの頃ローンを組むの緩かったよね。東京お茶の水
の楽器街では毎日のように大量のローンが組まれていった。大概の名前の
ハンコが店にあるというのもスゴイ。記憶では18歳を超えると親の承諾なしで
ローンが組めたから組み放題で、ちょっとのぞいたつもりが運命の出会いと
勘違いしてしまう。そこに大人がたたみかけるのだ。決めセリフは「名前なに?
あっ、だったらハンコあるから持って帰れるよ」また1本、また1本とギターが増えて
いった。なんの話だっけ? まあとにかく勢いのある時代だったね。

 

阪神タイガースやサブカルチャーなんかも掘り下げた。それと雑誌文化のページは、
これも必見です。集英社と平凡出版(現・マガジンハウス)、宝島社の当時の編集長
たちにじっくりと話を聞いて組んだページは、読み応えバッチリ。僕たち雑誌好きだった。
その純真な心に大人たちはこんな風に踏み込んできたのだねと、感心すること間違い
ナシだ。このページからも、時代の勢いを感じるよ。

 

それにしても、僕たちはいい時代を生きてきたね。20歳の頃がこんなに輝いていた
のだから。子供から大人へと登る階段を、いつもいいイメージで登れたんだ。未来は
もっといい時代になる。もっと便利で快適で豊かになる。実際は幻想だったけれど、
多感なあの頃をそうやって過ごせたことが、僕たちの根っこにある元気の源だね。
特集を組んでみてつくづく思った次第だよ。さあ、あと3日でこんなすばらしい本と
出会えますよ。

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    clair.kei
    2011年 3月 9日 21:58 | #1

    その後、定期購読にしましたので届くのを楽しみにしております♪
    沖縄は幹線の飛行機の本数がこれだけあるのに相変わらず書店に並ぶのは
    4~6日遅いんです・・。
    昭和60年。ホントに毎夜遊びまわってました・・今思えば若いもんがって感じ
    ですがこうして無事に落ち着いてるのでいい時代を過ごせてよかったんだと
    実感。海外にもたくさーん行けたし★
    ではまた。沖縄も寒が戻りました。

  2. えーっ、4~6日も遅いのですか? それは知りませんでした。1~2日程度という認識でしたよ(反省)。僕たちのあの頃はホントにスゴイ日々だったのですね。沈まない太陽がバックボーンにあったということが、僕たちのルーツなんだなと、あらためて思った特集でしたよ。末筆ながら、定期購読ありがとうごさいます。

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    E50
    2011年 3月 10日 12:57 | #2

    DCブランド・・・そういうのありましたねぇ!!私は当時ショーケンにあこがれ、MENS BIGIのために例の赤いカードに手を染めてしまいました。当時はわざわざ丸井の店舗に払いに行ってた記憶があります。支払が滞ると怖そうなおじさんから電話がありましたねえ・・・・(汗)
    当時新宿界隈は丸井のメンズ館、ファッション館、テクノ館、インテリア館等皆欲しいのもでキラキラ輝いていましたねえ!そうそう伊勢丹にrenomaのショップがあり、セカンドバックをわきに抱えた若い男がたくさんいました。当時貧乏学生だった私はバッタ物のレノマをもっていました。

  4. そうです、みんな手を染めたんですね。そしてバッタ物にも手をだしたりつかまされり。上昇気流吹き荒れていた俺たちの時代ですね。

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