高知ぜよ!

2010 年 6 月 21 日 プロデューサー コメント

会社に戻ってきたのは、日付が今日に変わった夜中の1時を過ぎていた。
20日の日曜日に開催したイベント終了後、
約12時間の激走に揺られ続けての帰社だ。
俺はこのイベントに絡めて、龍馬伝で
盛り上がる高知へと取材に出かけたきた。

 

初めて高知を訪ねたのは、30歳の誕生日直前のころだった。
このときも仕事を絡めてでかけ、無理くり休暇をくっつけて旅を楽しんだ。
もっともこの頃はまだ編集などというクレイジーな仕事には就いていなかったため、
忙しい忙しいとわめきながらも時間はつくれたのだった。
でもね、今もきっと同じだよね。
確かに暇ではないけれど、もっと大変な人はいっぱいいるし
“質”を掛け合わせたうえでの仕事量は俺なんかまだまだなわけで、
そう考えるといつの時代も“忙しい”という言葉は究極の甘え文句なのだなと、
15年を経ても同じような自分を反省したりしています、はい。

 

あのときは30歳を迎える直前に、
この後の30代という10年をしっかりと考えようと出かけた。
テーマとしたのは明治維新で、いうまでもなく日本の明日を信じた
多くの若者の力と命によって成し遂げられた革命である。
その原動力のひとつとなった土佐藩の男たちを学ぶことから、自分を問いただそうとした旅だった。
龍馬さん33歳、武市さん37歳、中岡さんは30歳で亡くなっている。
30代で亡くなった人たちにあらためて敬意を持ち、
かつ、彼らの志の源を少しでも感じたかった。
土佐を愛する人たちを訪ね、うかがった情報を元に練り歩いた旅であった。
2日間という短い時間ではあったものの
それはすばらしい経験となり、今も自分の血肉になっていると思う。

 

あれから15年の時間が流れた。
その間、幸せなことに仕事で3度ほどこの地に足を運んでいる。
が、それは初めてのときのような時間は使えず、
かつおのたたきと桂浜の景観に満足して帰るような旅ばかりであった。
今回は「昭和40年男」がちょうど一段落ついたタイミングであるのと、
あの時から15年を経た自分の視点でページをつくろうという思い、
イベントスタッフより1日前に四国入りし取材を進めたのだった。
たった1日、されど1日だ。
中身の濃い時間を過ごし、旅心を全開にして取材した。

 

45歳直前であるからちょうど15年である。
残念ながら雨がそぼ降る南国ではあったが、
ひとり旅のそれは風情としてとらえられる。
雨に煙る高知城がよいのだよ。

 

吉田東洋暗殺の地と武市半平太切腹の地の距離に、あらためて歴史の皮肉を知る。
こんな近くで、結局は偉大な頭脳を持った互いが殺し合ったことになる。
東洋さんが土佐勤皇党に斬られた現場に、ちっぽけな碑が残されている。
土佐勤皇党の党首として罪を問われ投獄され、
切腹を命じられ見事に信念を貫いた場所にも同じくちっぽけな碑があり、
そうだなあ、歩いて5分もない距離だよ。

武市半平太切腹の地

 
吉田東洋暗殺の地

吉田東洋暗殺の地


歴史博物館ももちろんいいが、
こうしてただ碑が残っている昔の事実が刻印されただけの場所もいい。
そこから自分の心がなにを読みとるかが、楽しみでもあるからね。
事実、15年前に感じたことと、まったく異なる自分の心に出会えた。
「うーん。もっともっと旅心を育てていくと、必ず違ったモノが見えてくるのだろうね、芭蕉先生」
とつぶやく自分がいたよ。

 

それはなにも旅に出ることだけが育ててくれるモノでもない。
日夜鍛え上げた心と、旅が教えてくれる諸々が合致して大きなうねりを生み出すのだねえ。
“日々、おおいに生きること旅なり”
はいはい、忙しいなどと甘えずに努力を続けましょうね。
俺たち社会の中間管理職だものねえ。

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