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大編集後記。キカイダーな表紙づくり(2)

2010 年 6 月 18 日 プロデューサー コメント

表紙づくりのメイキングドラマである。
というわけで(なにが)、いつかつくってみたいという野望があるのよ、
まったく文字が入らない表紙を。
まっ、雑誌に置き換えると誌名は入れなければ流通しないけれど、
特集「?」とメチャメチャ大きな文字で入れるとか。
こんなのめくってみたくなるじゃない。
そこにいたるには、時代を十分に読んだ上でのクリエイティブワークでなければならない。
的確に判断を下せるジミー・ペイジのような頭脳を持ってね。
うーん、やっぱり大変だな。

 

それとやはり、ある程度メジャーな存在にならなければあまりカッコイイモノでない。
“レッド・ツェッペリンⅣ”と一緒で、あそこまでいっていた彼らだからカッコよかったわけで、
たとえば新人バンドがデビューアルバムでやってもカッコ悪いじゃない。
もしも、それでも勝負に出るなら相当のアートワークが必要だったり、
莫大なプロモーション予算があるとかね。

 

とにかくいろんな意味で、流れの中にいい表現があるわけだよ。
『昭和40年男』はなにかやりそうだな、という期待感みたいなものを
抱いてもらえる存在に育てていき、さらにメジャーになれれば
とりあえず手に取ってくれる。
今とは違う遊びができるようになる。
やっぱり究極の表紙、じゃなくジャケットなんだよね“レッド・ツェッペリンⅣ”は。
いつか見てろよー。

 

そんな野望を持ちながらもベタベタな表紙を毎度送り込んでいる俺です。
これがつまらないというわけではまったくなくて、
これも今の自分たちに流れている時代や書店という流通拠点や
様々なことを考えながら、今できることを練り込んでいるのだから、
思考としては最大限がんばっているのよ(その程度かというご指摘はあるでしょうが)。

 

雑誌タイトルもベタベタ、特集タイトルもベタベタな表紙の目的は
もちろん読者のみなさんに手に取ってもらうこと。
なんてったって無名ですし、プロモーション予算もないから。
昭和40年生まれ、またその周辺がターゲットというものすごくせまい雑誌でありながら、
この3号目リリース時点でターゲット内の知名度はおそらく1%に満たないどころか、
もう一桁下かも知れないと想定してつくっている。
だっからね、今はまず手にとってもらうことが表紙づくりの勝負である。
それにはベタベタと呼ばれても、わかりやすい方がいいのです。
俺だってデザインを学んだ時期があるわけだし、
それを見る目を日々鍛えている自負はあるから、つくりたい方向性とか基準は自分の中にあるよ。
でもね、それだけでのモノづくりはマスターベーションに過ぎないのだ。

 

文字量が多くなってしまうのも、挑んでいる勝負のせいだね。
夏には興味がなくても肝臓だったら手に取るかもしれない。
そう思うとどうしても入れたくなるのは理解してもらえるのではないかと。
ホントにカッコいいのは泥まみれになってでも勝ちにいくロッキーだったりするでしょ。
書店というリングの中で、ダサダサかもしれないけれど
自分たちの今をつかんで精一杯の勝負を挑むこと。
そこに男の美しさがあるわけだよ。
“レッド・ツェッペリンⅣ”だって、後に神格化されてはいるけど、
当時のジミー・ペイジはものすごく悩んで、そのうえレコード会社のお偉いさんから
ものすごくいじめられたかもしれない。
決してスマートにだけ片付けてつかんだ栄光だとは思えないわけだよ。
それをでき上がったうえでの表現だけを切り取って、
ああいうカッコいい表紙にしようとかいうヤツが世間にはたくさんいる。
「これだっさいっすよ」ってね。
ちゃんちゃらおかしいぜ。

 

でもね、幸いなことに我が『昭和40年男』の核にいる連中は、
そんなことを100も200もわかっていてくれる。
そんなすばらしい仲間が綴るページなのだから、少しでも多くの人の目に触れさせたい。
編集長としての俺の責務なのだ。
そのもっとも残酷に評価をされてしまう第1ラウンドが、表紙なんですな。
堂々巡りですが、真剣になる気持ちは理解してもらえるでしょうか?

 

うん、勝手なことばかり書いているけど本音だよーん。
でも、もうこの熱量に自分自身がやられそうなので、明日へと続くのだ。

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