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ジョン・ロードよ、さらば。

2012 年 7 月 18 日 プロデューサー コメント

ディープ・パープルのジョン・ロードが亡くなったとの情報が、昨日飛び込んできた。また1人、大きな影響を受けた人物が旅立ってしまった。

中学1年生の冬のことだった。洋楽に興味を持ち、同時にギターに興味を持った。同じクラスの友達が兄の影響でギターを弾いていることを知り、学校帰りに寄って聴かせてもらった。彼は兄貴の所有だと言いながらストラトキャスターにディストーションをかませてアンプにつなぎ、ジミヘンドリックスの『パープル・ヘイズ』、ビートルズの『ゲット・バック』、クールスの『ファンキー・モンキー・ベイビー』のリードパートを次々と弾いた。そして、その演目のなかにはディープ・パープルの『ハイウェイ・スター』もあり、タメ年男に披露してもらった目にも止まらぬ早弾きに完全にノックアウトされた。

やがてギターを手に入れ、ディープパープルを夢中に聴きコピーした。そこそこに弾けるようになり、当然のことながらバンドを組みたくなった。そこにはこれまた当然のごとく、パープルをコピーしたいとの思いがあった。だがそのままハイレベルキーボーディストの存在が必要になることが、バンド結成の大きな壁にもなった。小さな頃からピアノを弾いていたというヤツに無理矢理押し付け、なんとかバンドを結成でき、念願だった『ハイウェイ・スター』と『スモーク・オン・ザ・ウォーター』を猛練習して、そのまま中学校卒業時に開催した初ライブで披露した。当時のバンド小僧たちにとって、ディープバープルは絶対的な存在であり、レッド・ツェッペリンと並ぶ2大スターだったが、どちらかというとパープルの方が演奏しやすかった。やがて『バーン』や『レイジー』などもコピーしたのは、ギターソロもさることながら、キーボードソロがすばらしいからだった。ディープ・パープルは、ジョン・ロードとリッチー・プラックモアという2枚看板プレイヤーをリズム隊が支えているようなバンドだった。リッチーのソロに真っ向から挑んでいるようなジョン・ロードは、ギター小僧にも十分すぎる説得力があった。あの歪んだ音での独特の旋律と早弾きは、僕のなかにしっかりと根づいている。

『ぴあ』の最終号に付録で付いていた、昭和47年の創刊号復刻版をめくると、最後の方に来日アーティストのページがたった1ページながら掲載されている。そこにディープ・パープル、8月17日 6時半 日本武道館との掲載があり、ベストメンバーの名前が並んでいるなかには、ジョン・ロード(P)との掲載がある。ピアノ? 当時の表記はそういうことなのかと、同じページに掲載されているエマーソン・レイク&パーマーのキース・エマーソンに目を移すと、キーボード・ムーグ・シンセサイザーとの記載になっている。今さら見つけてしまい、なんともジョン・ロードに申し訳ない気分になってしまった。

この日本公演を収録した『ライブ・イン・ジャパン』での演奏がすごい。極東のロック後進国を喜ばせようとの気持ちが出たのか、強引なほどに突っ込んだビートが目一杯楽しめる。僕にとって、パープルの全作品のなかでもっとも好きなアルバムであり、たまに猛烈に聴きたくなってはかけている。今夜は感謝の気持ちで大音量で聴くことにする。

 

 

 

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