『昭和40年男』編集長的10大ニュース ー第2位。

今年の1年を振り返り、『昭和40年男』の僕個人の視点から10大ニュースをお送りしている。

いよいよ第2位。ドゥルドゥルドゥル〜、じゃん。
『東日本大震災』

今年を語る上で避けて通れない震災は、『昭和40年男』にも影響を与えた。あくまで僕の視点で書かせていただくワガママを、容赦願いたい。

あの日は懸命になってつくった特集『家族とは?』で臨んだ号の発売日だった。10大ニュースに入った、元憂歌団の木村さんとドラゴンズの山本昌さんのインタビューを掲載した号でもあり、今年1発目の気合いの入った1冊だった。また隔月発行に踏み切ることを高らかに宣言した。そんなお祭り騒ぎや、散りばめた数々のユーモアなどが、書店の棚に刺さっているのに嫌気を感じた。懸命につくった本なのに、不謹慎にさえ思えたのだった。売れ行きも悪かった。津波にのみこまれた本も多数あるようで、消えてなくなってしまったことになる。そしてその後は数々のイベントが中止に追い込まれ、予定していた仕事のキャンセルが相次いだ。3、4月は『昭和40年男』だけでなく、我々が発行する雑誌の売り上げが全体的に低迷し、広告出稿も自粛が相次いだ。惨憺たる状況に陥り、生まれてこれまで感じたことのない、ボロボロの疲労感を抱えた。タフなはずの僕が弱音を吐く場面さえあった。それでも自分というキャラクターを俯瞰で見て「お前にしかやれないことがあるだろう」と、自らに課すことで操り人形のごとく動かしていた時期だ。被災なさった方への気持ちが強く支えていたことも手伝って、なんとか自分を動かした。

タメ年の医師が活躍していることを知った。取材を申し込んでみると快諾が得られ、インタビュー取材をすることになり、ここで僕たちの本づくりの気質が出た。記事を作る以上は、被災地を見なければならぬというもの。リアルに状況を知ってこそ、読者の皆さんに打ち込むことができるのだという、僕たちの精神である。だが、取材をするのはそれでなくともポロポロになった自分には、辛く苦しいものだった。自分なんかよりもっともっと傷ついた方々が生活する地へ、土足で入っていくのである。少しでも被災の状況を知っていただくことが、復興へのパワーになると自分自身に言い聞かせて踏ん張った。この気持ちを込めれば込めた分だけ、反作用のように自分の傷が深くなった。

その被災地で、素晴らしい出会いがあった。自分の家も田畑もすべて津波にのみ込まれた。見渡す限り焼け野原のようになった地で、たった1人トラクターを動かしていた男だ。悲壮感などなにもなく、前へと進む男の強さだけがあった。情けない僕のような、無理をまったく感じさせない。塩に浸かってしまった土で作物ができるのかは、やってみないとわからないと笑い飛ばし、奥さんと2人で頑張っていた。朝3時から畑で汗を流し、休日など取らずひたすら前進した結果、夏前から奇跡の出荷が始まった。強い。62歳の男はきっと今日も畑に入っていることだろう。この出会いのおかげで、僕は自らが行っている取材の意義を見出せた。被災地は復興へ向けて確実に前進している。それを記事にしていこうと、俄然やる気が湧いた出会いだった。

我々は来年も被災地へと出向き、レポートを続けていく。

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