「く~も~りガラスの♪」寺尾 聰ブーム! 昭和56年・第32回『NHK紅白歌合戦』と共に当時のヒット曲を振り返る!

国民的歌番組、「NHK紅白歌合戦」(以下、紅白)は、今年令和元年の大晦日の70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手を振り返ってみましょう。第11回目は、元祖ぶりっ子・松田聖子が大ブレイクした「昭和56年・第32回大会」です。

昭和56年紅白歌合戦

アイドル世代交代か?!トシちゃん&マッチの快進撃

この年は、日本レコード大賞で最優秀新人賞をとったマッチこと近藤真彦が、前年の最優秀新人賞の田原俊彦と熾烈なトップアイドルレースを展開し、見事年間レコード売上でトップの座を勝ち取りました。白組はそんなマッチをトップバッターに、二番手にはトシちゃんと、人気を二分する二人を投入して勝利を目指し、一方の紅組も、初出場のアイドル、河合奈保子と石川ひとみで対抗するという幕開けでした。新御三家や、かつて中三トリオと言われた70年代アイドルとの世代交代を予感させるようなフレッシュ対決となりました。

寺尾 聰、西田敏行らの俳優陣が歌でも魅せます

そして、快進撃は10代のアイドルたちだけではありませんでした。 『ルビーの指輪』で日本レコード大賞を受賞した寺尾 聰と、『もしもピアノが弾けたなら』で同金賞の西田敏行は奇しくも同じ34歳での初出場! 俳優デビュー以前には、グループサウンズ、ザ・サベージでも活動していた寺尾 聰ですが、シンガーソングライターとしての実力を開花させ、ヒットチャートやベストテン番組の連続1位記録を塗り替えるなど大ブレイクしました。そして、俳優としても確たる人気を築いていた西田敏行は、その豊かな表現力で、自らの主演ドラマ『池中玄太80キロ』(第2シリーズ)の挿入歌(後に主題歌となる)を歌って大ヒット! 晴れて初出場を果たしました。ちょっぴり切ない大人の男心を歌ったこの2曲、どちらも永遠の名曲ですね。

40代でデビューの竜 鉄也が初出場。演歌勢が活躍

いえいえ、30代どころか、まだ上があるんです! 前年のデビュー曲『奥飛騨慕情』のロングヒットで紅白初出場を果たした竜 鉄也はなんと当時45歳。20代から「流し」をやっていたという苦労人が、自らの作詞・作曲による同曲で、この年の日本有線大賞を受賞しました。1981年オリコン年間シングル売上ランキングでは、前述の『ルビーの指輪』に次ぐ2位という大ヒットだったのです。若くして視力を失うという逆境にありながら、長年の流し生活の末につかんだ栄光は、聴く者に大きな感動を与えるものでした。また、『みちのくひとり旅』の山本譲二、『みちづれ』の牧村三枝子、『ふたり酒』の川中美幸など、デビューからなかなかヒットに恵まれなかった演歌勢が悲願の初出場を果たしました。特に山本は、周囲から、『みちのく~』がダメなら歌手をあきらめろとまで言われていただけに31歳での初出場は感無量だったのではないでしょうか。そして、演歌勢で忘れられないのが、前年日本レコード大賞で新人賞を受賞している、松村和子。三味線を弾きながら歌う『帰ってこいよ』には、同世代のアイドル歌手とは異次元の迫力を感じました。

そんな1981年は、ニューミュージックの口火を切ったと言われる、大滝詠一のアルバム『A LONG VACATION』が100万枚セールスを達成、同アルバムにも収録されている、シングル『君は天然色』がビーチでかかりまくっていました! 70年代後半から始まった、化粧品などのキャンペーンソングも、当時の絶大なるテレビの影響力をもって順調にヒットを生みだし、矢野顕子『春咲小紅』、ザ・ヴィーナス『キッスは目にして!』がスマッシュヒットとなりました。が、この年なんといても昭和40年男世代がハマったのは、ツッパリブームで登場してきた横浜銀蝿『ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)』でしょう。リーゼントに革ジャンというツッパリバイカースタイルは、巷にあふれるヤンキーに絶大なる支持を受けて「暴走族のアイドル」と言われました。演歌に、ナイアガラミュージックに、YMOサウンド、おまけにツッパリロックンロールとぶりっ子アイドル!まさにカオスな音楽シーンという様相で、ついにCD時代幕開けの82年へと突入していくのです。

※当時のレコードジャケットなどは、「昭和40年男」6月号増刊「俺たちの胸に刺さった昭和ソング」P26~27に掲載されていますので、あわせてご覧下さい。(「昭和40年男」編集部・まつざき)

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